【元東京監督】大熊清

1999年・2011年と、FC東京が
J2からJ1への昇格を決めた
2つのシーズンの両方で監督を
務めた指導者は?
関木清
大塚隆
小熊剛
大熊清(答)
34%

大熊 清(おおくま きよし、1964年6月21日 – )は埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。サッカー指導者の大熊裕司は実弟。

1999年、クラブがFC東京としてプロ化し、J2(Jリーグ2部)に参加。大熊は東京ガス社員(正式には東京ガスからの出向扱い)のままプロクラブの指揮を執り、同リーグ2位で翌2000年からのJ1(Jリーグ1部)昇格を果たした。大熊は、格上の相手が揃うJ1の中で成績を残すには戦術を徹底させることが必要と考え[12][注 2]、一貫してショートカウンターを志向した[12]。開幕戦で対戦した横浜FM・中村俊輔からは「蹴って走るだけの部活サッカー」と嘲られたが[13]、東京の労を厭わずに走るサッカーは当時のJ1においては異色で[14]、序盤に首位を維持した快進撃が認められ、アジアサッカー連盟2000年3月度月間最優秀監督賞を受賞[15][11]。Jリーグクラブの監督としては5人目、日本人に限ると3人目の快挙だった[5]。大熊の手腕はクラブ内で高く評価されていたものの、クラブの飛躍のためには新たな編成が必要との判断から[16]、2001年限りでFC東京監督を退任[5]。

FC東京監督(第2期)
2010年9月19日、城福浩監督の解任に伴い、J2降格圏に低迷していたFC東京の監督に9年ぶりに復帰[1]。同年リーグ優勝した名古屋に勝利するなどチームを立て直したが、最終節に敗れてJ2降格を喫した。

2011年も引き続きFC東京の監督を務め[24]、序盤こそ出遅れたものの、チームに薄れつつあった謙虚さとひたむきさを蘇らせ[25]、J2優勝及び1年でのJ1昇格を果たした。同年限りでの退任が発表されて[26] 臨んだ天皇杯では、クラブ初、J2勢としても初の優勝を果たし有終の美を飾った。

2012年よりFC東京のテクニカルディレクターに就任[27]。育成部長に就いた倉又と共に下部組織を統括し、クラブのスタイルや目標に明確な方向性を持たせるべく「幹の部分(大熊談)」を作ることに尽力した[28]。2013年限りで同職を退任[29]。
引用元:大熊清 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%86%8A%E6%B8%85