新宿伊勢丹前


1973年に、プロレスラーの
タイガー・ジェット・シンが
アントニオ猪木を路上で
襲撃したのは新宿伊勢丹前である
◯(答)
×銀座三越前
65%

タイガー・ジェット・シン(Tiger Jeet Singh、本名:Jagjit Singh Hans、1944年4月3日 – )は、インド・パンジャーブ州ルディヤーナー出身のプロレスラー、実業家。スペリングの通り、より原音に近いリングネームの表記はタイガー・ジート・シン。シク教徒。

概要
タイガー・ジェット・シンのニックネームは「インドの猛虎(狂虎)」「狂える虎」。息子のタイガー・アリ・シンもプロレスラーであり、WWEのリングでも活動した。

フェンシングのサーベルを振りかざす姿で一世を風靡した悪役レスラー。しかし、ここぞという場面では正統派レスリングを見せ、アントニオ猪木らトップクラスのレスラーにも勝利している。言動には独自の哲学を徹底して貫いており、多くの関係者から一目置かれる存在となっている。

日本国外や地元トロントではベビーフェイスとして活躍を続ける一方、プロレス以外の様々な事業を経営している。プロレス業界のみならず、財界、政界とも繋がりがあり、北米インド人社会では最も著名な人物の一人である。

「襲撃事件」と「腕折り事件」
1973年11月5日、タイガー・ジェット・シンは2度目の来日中にビル・ホワイトら外国人レスラー数名と組み、倍賞美津子(当時の猪木夫人)と買い物中だったアントニオ猪木を新宿伊勢丹前で襲撃し、猪木はガードレールやタクシーのボンネットに頭からぶつけられ負傷・流血した。平日の夕刻、大勢の帰宅客で賑わっていた最中での出来事であり、一般の目撃者から警察にも通報された。
新日本プロレスに対する四谷警察署の対応は、「本当の喧嘩であれば猪木はシンを傷害罪で告発し、被害届を出せ。やらせであれば、道路交通法違反(道路無許可使用)で新日本プロレスを処分する」という厳しいものだった。これに対し新日本プロレスは、「やらせではない。シンは契約選手なので傷害罪で告発することは出来ないが、騒ぎを起こしたことは申し訳なく、お詫びなら幾らでもする」と始末書を提出し、事件は新日本プロレスに対する厳重注意で収まった。
この事件はプロレスファンから広く一般まで話題となり[7]、シンは本当に狂っているのではないか(後述)という印象を強く与えた。以後猪木はリング上で制裁を加えると公言し、猪木対シンの試合は「因縁の闘い」として世間の注目を集めることとなった。事件直後の1973年11月16日、札幌中島スポーツセンターで超満員の中猪木と二度目の一騎討ちが実現。両者大流血の喧嘩ファイトとなった。
引用元:タイガー・ジェット・シン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3