木鶏たりえず


昭和の大横綱・双葉山が、連勝
記録が69で途絶えた日に知人に
送った有名な電報の文面は「ワレ
イマダ◯◯◯◯◯◯◯◯』?
エリッイケモタズ
モッケイタリエズ(答)
46%

エフェクト
1983年に亡くなった日本の陽明学者です
安岡正篤
やすおかまさひろ(答)

「イマダ モッケイタリエズ」その夜、双葉山は電報を打った
 【九州場所2日目】「不世出の横綱」「昭和の角聖」と呼ばれる第35代横綱・双葉山は1912年、大分県出身。27年に初土俵を踏んだ。右目がほとんど見えないハンデを抱えながら12回の優勝を飾った偉大な力士だった。不滅の連勝記録は36年1月場所7日目に始まった。当時は年2場所で、翌37年と、横綱に昇格して臨んだ38年も勝ち続け、5場所連続で全勝優勝した。

 連勝が69でストップしたのは39年1月場所4日目(15日)。相手は初顔合わせで入幕3場所目の安芸ノ海。双葉山は得意の右四つになったが、相手に食いつかれた。右すくい投げで打開しようとしたが、そこで左外掛けを食い崩れ落ちた。出羽海一門が大学卒の笠置山を中心に対策を研究。右目がほとんど見えない双葉山の右足を狙うことを指示。安芸ノ海はその通りに戦い金星を挙げた。

 その夜、双葉山は知人の思想家・安岡正篤氏に「イマダ モッケイタリエズ フタバ」と電報を打った。「木鶏」は中国の古典に出てくる闘鶏の話に由来する。木でつくられたように見えるほど、どんな相手に対しても無心で戦える天下無敵の鶏のこと。安岡氏からその話を聞いた双葉山は「木鶏」を志向。電報で精神的な未熟さを反省した。
引用元:「イマダ モッケイタリエズ」その夜、双葉山は電報を打った― スポニチ Sponichi Annex スポーツ https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/11/16/kiji/K20101116Z00000090.html

安岡正篤【やすおかまさひろ】
陽明学者,右翼思想家。大阪生れ。1922年東京帝大卒。若くして華族・富豪層に師として遇され,1927年伯爵酒井忠正の援助で金鶏学院を創立,日本主義思想による青少年の精神教化運動に取り組む。1932年日本精神に基づく国政維新を唱えて国維会を結成,斎藤・岡田両内閣に閣僚を送り込むなどした。終戦時の〈玉音放送〉の原案を添削したことは有名。1949年全国師友協会を設立,政・財・官各界に隠然たる影響力を持った。三島由紀夫も共鳴者のひとりだった。
引用元:安岡正篤(やすおか まさひろ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4-21854

これと同じ話が「荘子・外編」に出ております。紀?子という人が闘鶏の好きな王(学者によって説もありますが、一般には周の宣王ということになっています)のために軍鶏(しゃも)を養って調教訓練しておりました。そして十日ほど経った頃、王が“もうよいか”とききましたところが、紀?子は“いや、まだいけません、空威張りして「俺が」というところがあります”と答えました。さらに十日経って、またききました。“未だだめです。相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります”。また十日経ってききました。“未だいけません。相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります”。こうしてさらに十日経って、またききました。そうすると初めて“まあ、どうにかよろしいでしょう。他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。その姿はまるで木彫の鶏のようです。全く徳が充実しました。もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、姿をみただけで逃げてしまうでしょう“と言いました。

大変おもしろい話でありますが、私はこの話を往年の名横綱双葉山関にしたことがありました。これは双葉山関自身が『相撲求道録』という本に書いておりますが、まだ横綱になる前の大変人気が出てきた頃でした。双葉山を非常にひいきにしていた老友人に招かれて一緒に飲んだことがあるのです。なにしろ私もまだ若かった頃ですからつい一杯機嫌で、“君もまだまだだめだ”と申したましたろころ、さすがに大横綱になるだけあって私もそのとき感心したのですが、“どこがいけないのですか”と慇懃(いんぎん)に尋ねるのです。そこで私が木鶏の話をいたしましたところが、大層感じ入ったらしく、それから木鶏の修行を始めたのです。その後は皆さんもご存知のようにあのような名力士となって、とうとう六十九連勝という偉業を成し遂げたのであります。なんでもそのとき、私に木鶏の額を書いてくれということで、書いて渡したのでありますが、その額を部屋に掛けて、朝に晩に静座して木鶏の工夫をした。本人の招きで私も一度まいりました。

今度の大戦(第二次世界大戦)の始まる直前のことでありますが、私は欧米の東洋専門の学者や当局者達と話し合いをするためにヨーロッパの旅に出かけました。もちろんその頃はまだ飛行機が普及しておりませんから船旅ですが、ちょうどインド洋を航行中のときでした。ある日、ボーイが双葉山からの電報だと言って室に飛び込んできました。なにしろ当時の双葉山は七十連勝に向かって連戦連勝の最中で、その人気は大変なものでしたから、ボーイもよほど興味を持ったらしい。そして“どうも電文がよくわかりませんので、打ち返して問い合わせようかと係の者が申しておりますが、とにかく一度ご覧ください”と言う。早速手にとってみると「イマダモクケイにオヨバズ」とある。双葉山から負けたことを報せてきた電報だったのです。なるほどこれでは普通の人にわからぬのも無理はありません。この話がたちまち船中に伝わり、とうとう晩餐会の席で大勢の人にせがまれても木鶏の話をさせられたのを覚えています。
引用元:名横綱双葉山と木鶏の逸話:安岡正篤「一日一言」 | 致知出版社-安岡正篤先生のページ http://www.chichi-yasuoka.com/episode03.html