ジョン・ストックトン


ポジションはポイントガード
NBA通算スティール数歴代1位
NBA通算アシスト数歴代1位
ユタ・ジャズ一筋でプレー
レジー・ミラー
カール・マローン
ジョン・ストックトン(答)
スコッティ・ピッペン
43%


背番号「31」は永久欠番
3Pシュート成功数NBA歴代1位
インディアナ・ペイサーズで活躍
クラッチシューターとして有名
レジー・ミラー(答)

連想
愛称は「メールマン」
ストックトンとの黄金コンビ
ユタ・ジャズで活躍
通算得点記録はNBA歴代2位
カール・マローン(答)

連想
2004年10月に現役を引退
五輪で2度の金メダルに貢献 
ポジションはスモールフォワード
シカゴ・ブルズなどで活躍
スコッティ・ピッペン(答)

ジョン・ヒューストン・ストックトン(John Houston Stockton、1962年3月26日 – )は、アメリカ合衆国のワシントン州スポケーン出身の元バスケットボール選手。1980年代から引退までの19年間をNBAのユタ・ジャズでプレイし、歴代最多のアシスト記録、スティール記録を残した名ポイントガード[1]。NBAでは少数派の白人スター選手だった。1992年と1996年のオリンピックで金メダル獲得。1996年にNBA50周年を記念した「50人の偉大な選手」の一人に選ばれ、2009年9月11日にバスケットボール殿堂入りした[1]。

アシスト量産
1980年代後半以降、マローンは毎年30点前後の平均得点を上げ、ストックトンは毎年のようにリーグ最多のアシスト数を記録する。これはストックトンのパスからマローンが得点するというパターンが繰り返されたということであり、二人は互いにとって欠かせない相棒のような関係となっていた。

1987-88シーズン以降、ストックトンは9年連続で平均アシスト数リーグ首位となり、1960年代のボブ・クージーの記録を塗り替えた。1989-90シーズンの平均アシスト数14.5は、現在でもリーグ歴代最高である。1994-95シーズンにはマジック・ジョンソンの記録を抜き、通算アシスト数1万を超える最初の選手となった。2003年に引退した時点でのアシスト数は15,806本で、歴代最多である。

マローンとストックトンの得点パターンには、有名なピック・アンド・ロールのコンビプレイがある。相手のディフェンダーの動きを止めるプレイからフリーになった選手が得点するという一連の流れは実に効果的に機能し、相手チームや観客の誰もが知っているプレーでありながら洗練されたプレーで止める事が困難であり、長年に渡りユタ・ジャズが利用するプレイとなった。

プレイスタイル
NBA史上最高のPGの1人と謳われる人物。終始冷静なゲームメイクと正確なシュート技術を有した、正統派PGであった。

「ストックトンはアメリカンフットボールのクォーターバックのように、インカムを使って選手に指示を出している」というジョークが生まれたほど、コート全体を把握できる広いフィールドヴィジョンを持ち、正確なパスでアシストを量産した。「僕達は目をつぶっていても、お互いがコートのどこにいるか分かる」と、ソウルメイトであるカール・マローンは語っている。

目立ちたがらない性格でプレイの華やかさは控えめで、優勝経験もないため、史上最高PGのランキングの際にはマジック・ジョンソンやアイザイア・トーマスに次ぐことが多いが、通算アシスト数、通算スティール数、シーズン平均最多アシスト数、リーグ最多アシスト数連続年数、プレイオフ1試合最多アシスト数の記録等を保持していることから、史上最高PGの称号を贈られても決しておかしくないプレイヤーであった。一時期、NBA内でストックトンの数々のアシスト記録に敬意を表し、アシスト王を「ジョン・ストックトン賞」にすべきとの議論が起きたほどである。針の穴を通すような正確・確実なチームメイトへのパスは、チームメイトのシュート動作をすべて計算に入れた繊細なものであった。マジックが「尊敬に値する人物」と評し、傲慢で何者も恐れないトラッシュトーカーであったゲイリー・ペイトンが「唯一目標にするプレイヤーだ」「誰よりもマッチアップしづらい、ジョーダンよりも」と公言していることから、PGとしての能力は相当なものであったことは間違いない。
引用元:ジョン・ストックトン – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%B3