野村謙二郎


1990年、91年、94年に盗塁王
2005年に2000本安打を達成
駒沢大学出身
1995年に3割30本30盗塁を達成
江藤智
緒方孝市
前田智徳
野村謙二郎(答)
47%

野村 謙二郎(のむら けんじろう、1966年9月19日 – )は、元プロ野球選手(内野手)、元監督、野球評論家。

1990年からは内野手になり、前年オフにロッテオリオンズへ移籍した高橋慶彦に代わって、遊撃手のレギュラーとなる。オープン戦では失策が多く[14]、公称70kg(当時)より細い外見から来るパワー面の不安[15]なども懸念されていたが、シーズンに入ると攻守に活躍し、4月15日の対読売ジャイアンツ戦では3回裏に宮本和知から一軍での初本塁打となる右越えソロ本塁打を放つ。また、オールスターゲームに初めて選ばれ、第2戦では2番・遊撃手として先発出場した[16]。シーズンでは33盗塁を記録し、自身初のタイトルとなる盗塁王を獲得した。

1994年から7年間、広島の主将とチームリーダーを務め、首位打者宣言をしてシーズンに臨んだ[24]。シーズン当初は2番だった打順も6月9日には1番に戻り、2度目の最多安打(タイトル制定はこの年から)と3度目の盗塁王を獲得。球団の遊撃手では1986年の高橋慶彦以来2人目となるフルイニング出場を果たした[25]。年俸はチームメイトの前田智徳には及ばないものの、4500万円の大幅増の1億800万円となり、初めて1億円の大台を突破した[26][18]。11月には秋季キャンプへの参加を免除されて奥歯の虫歯を集中的に治療し、かみ合わせが改善してインパクト時に力を集中出来るようになった[27]。また、内角球への対応を改善するためにグリップ位置を上げて強く振り切るなど、フォームを改造している[27]。

1995年4月18日に長男が誕生。ヘルメットに長男の名前を書き込んで励みとし[28]、5月には自身2度目となる月間MVPを受賞した。6月3日の対巨人戦では初登板の河原純一から初回先頭打者本塁打を放った[29]。9月1日まで全試合1番で先発出場を続け、9月2日以降は3番に定着。9月22日には当時歴代5位のスピード記録となる857試合目で1000本安打を達成した。シーズン後半は腰や背中に痛みを抱えて帰塁が出来ず、盗塁数が減少したが[30]、10月6日の対ヤクルト戦で30盗塁に到達。最終的に史上6人目となるトリプルスリー(打率.315、32本塁打、30盗塁)を記録した。打率.3145はロバート・ローズの.3150と5毛差でリーグ3位、32本塁打はチームメイトの江藤智に次ぐリーグ2位だった。また、守備面の評価も高く、自身初のゴールデングラブ賞を受賞。年末には史上最高(当時)となる1億7000万円で契約を更改し、5年後に金本知憲が抜くまで野村をチーム最高年俸とする不文律が生まれた[31]。同年の契約更改では、主将やチームリーダーとしての働きや、高津臣吾や西山一宇などライバルチームの抑え投手からサヨナラ打を放ったことから、球団事務所からはチームでは最高の貢献度だったと評価されている[32]。

引用元:野村謙二郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E8%AC%99%E4%BA%8C%E9%83%8E

野村謙二郎とは、元プロ野球選手で広島東洋カープの監督である。背番号は77。

概要
広島東洋カープ 監督 #77
野村謙二郎
基本情報
出身地 大分県佐伯市
生年月日 1966年9月16日
身長
体重 176 cm
78 kg
選手情報
投球・打撃 右投左打
守備位置 内野手
プロ入り 1988年
経歴
選手歴
佐伯鶴城高等学校
駒沢大学
広島東洋カープ(1988年-2005年)
監督・コーチ歴
広島東洋カープ(2010年-)
プロ野球選手テンプレート
駒澤大学時代に内野手として活躍。ソウルオリンピック野球日本代表チームのトップバッターとして銀メダルを獲得した。

1988年にドラフト1位で広島東洋カープに入団。背番号は7。入団時はスイッチヒッターだった。

1990年より遊撃手のレギュラーとなり、1990年は33盗塁、1991年は31盗塁で2年連続となる盗塁王を獲得、さらにはベストナインにも選出され、主力打者の一人としてチームのリーグ優勝に一役買った。

1995年には史上6人目のトリプルスリー(打率.315、32本塁打、30盗塁)を達成。

1997年オフには、FA権獲得によりメジャーリーグのタンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)からオファーが来るも、駒澤大学時代の恩師で、当時、駒澤大学監督だった太田誠の電話による説得で残留を決意。

1999年のキャンプにて、守備練習中にグラブを投げ捨て素手でノックを受ける「素手ノック事件」を起こした。

2005年6月23日、広島市民球場での対ヤクルトスワローズ戦にて日本プロ野球史上33人目、通算2000本安打を達成した。以後は代打としての出場が多くなり、この年限りで現役引退。
引退セレモニーでの発言「今日集まってる子どもたち、野球はいいもんだぞ!野球は楽しいぞ!」が印象に残っているファンも多いであろう。

引退後は、野球解説者、WBC体制検討会議メンバーなどで活躍。2007年には春季キャンプで広島の臨時コーチを務め、2010年度広島東洋カープ監督に就任。秋季キャンプよりチームの指揮を執っている。
練習に関して前任のマーティー・レオ・ブラウンとは対照的に猛練習によってチーム力を向上させる方針であり、これが良くも悪くもファンの間で議論を呼んでいる。

2013年にシーズン3位となり、1997年の三村敏之監督以来16年ぶりのAクラス入りと初のCS出場を果たす。
引用元:野村謙二郎とは (ノムラケンジロウとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 http://dic.nicovideo.jp/a/%E9%87%8E%E6%9D%91%E8%AC%99%E4%BA%8C%E9%83%8E