松波正信


Jリーグ開幕から13シーズン
ガンバ大阪一筋でプレーし
「ミスターガンバ」と呼ばれた
2005年に現役を引退したFWは?
和松島伸正
信之幸本波
松波正信(答)
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松波 正信(まつなみ まさのぶ、1974年11月21日 – )は、岐阜県岐阜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。

選手時代
岐阜県岐阜市出身。帝京高等学校時代の2年生次で出場した第70回全国高校サッカー選手権では7得点を挙げ大会得点王に輝き、同校を優勝に導いた大型ストライカーとして注目を集めた。卒業後の1993年、開幕したばかりのJリーグの4クラブ(名古屋グランパスエイト、鹿島アントラーズ、ジェフユナイテッド市原)から正式オファーがあり、ガンバ大阪に入団。同年5月16日の本拠地万博記念競技場での浦和レッズとの1993年Jリーグ開幕節ではベンチ入りも逃したが6月9日、サントリー第11節サンフレッチェ広島戦で決めたJ初ゴールがJリーグ通算100ゴールとなった。以後、初年度から出場機会を掴みリーグ戦29試合出場7得点を記録、7得点のうち10代最後の誕生日の前日11月20日、NICOSシリーズ第14節市原緑地運動公園臨海競技場で当時高卒ルーキーだった松波はキックオフから延長までフルタイム出場しハットトリックを達成、3点目は延長前半のサドンデス(Vゴール)。18歳と364日でのハットトリック達成は、Jリーグのトップカテゴリ(一部制のJリーグ→J1)では現在も最年少記録である(J2では2012年10月21日に東京ヴェルディの中島翔哉が18歳59日でハットトリックを達成している)。 。1994年Jリーグサントリーシリーズ第17節の平塚競技場で同年からJリーグ正会員となった湘南ベルマーレ戦で延長含めフルタイム出場し後半同点ゴールでJリーグ マン・オブ・ザ・マッチ選出、ファルカン監督時代の同年には、A代表にも選出されたが、怪我の為に辞退。結局以後の招集は無く、国際Aマッチへの出場はなかった。

1996年のアトランタオリンピックではバックアップメンバーとして選出されるも、出場機会はなかった。1997年にはエムボマと2トップを組み、多くのチャンスを演出し、自身も初のリーグ戦2桁ゴールを挙げた。

以後、成績面では期待通りの活躍とまでいかなかったものの、年を追うごとに主に試合終盤に投入されるスーパーサブとしてチーム内で強烈な存在感を見せ、“ミスター・ガンバ”[1] としてサポーターから親しまれた。ガンバでトップクラスの人気を誇ったがJリーグオールスターサッカーやJOMO CUP Jリーグドリームマッチは出場果たせぬまま引退。

2005年11月、現役引退を表明[2]。12月、ガンバがクラブ初タイトルとなるリーグ優勝を達成し、13年間ガンバ一筋でプレーした現役生活を最高の形で締めくくった。
引用元:松波正信 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%B3%A2%E6%AD%A3%E4%BF%A1