バナザード、ブーマー、ズレータ


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“トニー”アントニオ・バナザード・ガルシア(Antonio “Tony” Bernazard Garcia , 1956年8月24日 – )は、プエルトリコ出身の元プロ野球選手(内野手)。

1988年、南海ホークスに入団。巧みなバットコントロール[1]、小柄ながら俊足巧打で長打力もある三拍子揃ったスイッチヒッターで、来日1年目の1988年に28試合連続安打を記録(1993年に横浜ベイスターズのグレン・ブラッグスに抜かれるまで、外国人選手における連続安打記録だった)し、打率.315を記録。球団名がダイエーとなった1989年は打率こそ3割を下回ったものの34本塁打を放ったり、10月6日のロッテ戦ではプロ初となるシーズン2度目の1試合両打席本塁打を放った[1]。しかし、1990年は同年からは監督に就任した田淵幸一との確執[2]、平凡な成績に終わり、同年限りで退団。来日初年度の88年は、打撃だけではなくセカンドの守備力でもチームに大いに貢献したが、90年シーズンには守備範囲が狭くなったことからサードや指名打者での出場が増加し、また故障の影響もあり、本来はスイッチヒッターであったが、右投手に対しても右打席に入るようになっていた。
引用元:トニー・バナザード – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%8A%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%89

グレゴリー・デウェイン・ウェルズ(Gregory DeWayne “Boomer” Wells , 1954年4月25日 – )は、アメリカ合衆国アラバマ州出身の元プロ野球選手(内野手)。NPBでの登録名は「ブーマー」。

1992年に福岡ダイエーホークスに移籍し、38歳で打点王を獲得するものの、シーズン後半に絶不調に陥ったこともあり、この年限りで退団。10年間の日本生活で打率3割以上を1年目からの5年連続を含む7回、打率.350以上を2回、30本塁打以上を5回、40本塁打以上を3回、100打点以上を5回記録した。
引用元:ブーマー・ウェルズ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%BA

フリオ・エルネスト・ズレータ・タビア(Julio Ernesto Zuleta Tapia , 1975年3月28日 – )は、パナマ共和国パナマ市出身の元プロ野球選手(内野手)。

ダイエー・ソフトバンク時代[編集]
2003年、小久保裕紀の長期離脱による攻撃力不足を補うために、シーズン途中に福岡ダイエーホークスに入団。「サードを守れる大砲」という触れ込みで入団したものの、送球に難があり三塁手での起用は見送られた。日本での初出場は、6月23日の対日本ハムファイターズ戦(福岡ドーム)で8番・ライトでスタメン出場したが、外野守備走塁コーチの島田誠が「想像を絶する守備のまずさ」と嘆くお粗末な守備を披露。ズレータは「まだシューズが届いていなかった」とスパイクシューズを履かずに外野の守備に就いたせいで思うように動けなかったことを主張したが、それ以降は指名打者に定着。当時スコアラーの金森栄治の打撃指導の下、持ち前のパワーを生かした特大本塁打を多数放ち、「パナマの怪人」と呼ばれる。チームのパシフィック・リーグ優勝・日本一に大きく貢献。日本シリーズ第1戦では阪神タイガースの安藤優也からサヨナラヒット、第2戦では金澤健人からダメ押しの3ランを放っている。
引用元:フリオ・ズレータ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%BA%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%BF