木塚敦志


浦和学院高校出身
1999年明治大学から横浜に入団
「クアトロK」の元メンバー
2001年に最優秀中継ぎ投手
木塚敦志(答)
土肥義弘
加藤武治
岡本直也
74%

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東京学芸大学出身
三菱ふそう川崎から横浜へ入団
元クアトロKのメンバー
2006年最優秀中継ぎ投手
川村丈夫
加藤武治(答)
岡本直也
土肥義弘
引用元:「加藤武治」東京学芸大出身 元クアトロK 三菱ふそうから横浜へ http://seethefun.net/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/26542/

木塚 敦志(きづか あつし、本名:木塚 敦士(読み同じ)、1977年7月19日 – )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市南区)出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。

プロ入り後[編集]
2000年3月31日の対阪神タイガース戦で延長10回に初登板、直後に勝ち越し打が生まれ、いきなり初勝利を挙げた。この初登板以降、引退まで全てが救援登板として起用されることとなる。前年にシアトル・マリナーズへ移籍した佐々木主浩を失い、その後釜として期待されたラファエル・ベタンコートが結果を残せず、代役でクローザーとなった福盛和男も一応は抑えるものの内容面で信頼を得るに至らなかったことから後半戦より新人ながら守護神に抜擢される。結果的には7勝3敗18セーブ、防御率2.89の好成績を残して佐々木の穴を埋めた。球団で新人投手が二桁セーブを上げるのは当時初めてのことだった[2]。

2005年はチームトップの58試合に登板して6勝5敗、防御率2.44を記録。木塚と川村丈夫、加藤武治、マーク・クルーンの中継ぎ投手4本柱は、4人合計で215試合・防御率2.74の好成績を記録し「クアトロK」と名付けられた。また同年から始まったプロ野球交流戦の初戦となった5月6日の対ロッテ戦では勝利投手となり、他球場の試合が終わっていなかったことから、交流戦最初の勝利投手となった。2006年は二段モーション禁止の影響により思うような投球ができず、防御率も前年度より悪化したが、それでも59試合に登板。

選手としての特徴・人物[編集]
極端な前傾姿勢から、体を左右に揺らしてノーワインドアップで振りかぶり、身体を沈み込ませるサブマリン式のサイドスローから150kmに迫るキレのある直球とスライダー、シンカー、カーブ、シュートを投げる。気迫を前面に押し出すタイプで、ピンチの場面で打者を抑えた時は豪快なガッツポーズを見せる。投球練習前のルーティンワークとしてジャンプ・股割・マウンドを掘るという動きを見せる。特に土を掘る作業は気合を込め、一生懸命に掘る。
NPBで登板した490試合は全てリリーフで、先発は一度もなかった。また、セ・リーグのみで登板した投手としては連続救援登板の記録保持者だった[11]。現在でも、先発経験がない投手としては、セ・リーグ最多登板である。
ファンサービスやチャリティ活動を重視しており、2002年より父親の出身地である北海道芦別市の芦別病院などに車椅子や血圧計を寄贈している[12]。また、2007年からは横浜スタジアムに「KIZ20シート」を設置し、抽選の上ファンにチケットをプレゼントしている[13]。このようにファンサービスは徹底しており、100名を超すファンに囲まれても、嫌な顔一つせず最後まで丁寧に応じる。
引用元:木塚敦志 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%A1%9A%E6%95%A6%E5%BF%97