「野口二郎と西沢道夫」延長28回完投


プロ野球史上最長の延長線である
1942年5月24日の大洋対名古屋で
両軍の先発は延長28回を完投した
◯(答)
67%

 しかし、デーブ君、いまの延長12回なんて甘いもんですよ。プロ野球には、その倍以上の28イニングを戦った記録があるのだから。しかも、その28回、表裏合わせて56回も攻守があったのに、登板した投手はたった2人。つまり2人とも28回完投。そう、1942年5月24日の、あの大洋-名古屋戦(後楽園)だ。大洋・野口二郎、名古屋・西沢道夫両投手は、最後まで投げ抜き4対4の日没引き分け。野口は343球、西沢は311球を投げた。試合は8回まで4対2で大洋がリード。大エース野口なら、試合はほぼ決まり。ところが、その野口が、9回表、名古屋の五番・古川清蔵に同点2ランを打たれてしまったのだ。その裏から、延々とスコアボードにゼロが並ぶことに。
引用元:今の延長12回なんて甘い。昔は延長28回があった | 週刊ベースボールONLINE プロ野球・ドラフト注目選手のコラム・インタビュー・戦力分析・予想・試合レポートなど徹底取材 http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=018-20150817-01

延長戦(えんちょうせん)とは、スポーツやゲームなどで、規定の時間や攻撃回数を終えるまで競技を行っても決着がつかない場合に、勝負の決着を付けるために競技を継続すること。

日本プロ野球
1942年5月24日の大洋軍対名古屋軍の延長28回。試合時間は3時間47分。
日本シリーズでは2010年第6戦、千葉ロッテマリーンズ対中日ドラゴンズの15回、試合時間は5時間43分。
最長試合時間の記録は、1992年9月11日の阪神タイガース対ヤクルトスワローズの6時間26分(試合終了は翌日午前0時26分)、延長15回3対3の引き分け。この試合は抗議による37分の中断が含まれるため、中断時間を含まない例では1996年9月8日の横浜ベイスターズ対ヤクルトの6時間19分で延長14回。
延長戦が12回までに制限されてからは、2013年9月4日に東京ドームで行われた北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス18回戦の6時間1分(試合終了は日付変わって翌日5日の0時4分、延長12回7対9でソフトバンクの勝利)が最長記録である。なお、この記録はパ・リーグ最長記録であり、上述の抗議による中断を除けば、歴代2位の試合時間である。
交流戦最長記録は2007年6月14日の日本ハム対横浜の5時間53分(試合終了は23時53分、延長12回の6-6で引き分け)。
引用元:延長戦 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E9%95%B7%E6%88%A6

野口 二郎(のぐち じろう、1919年1月6日 – 2007年5月21日)は、日本のプロ野球選手。愛知県名古屋市生まれ。明、二郎、昇、渉とプロ野球選手を輩出した野口四兄弟の次兄。

中京商から旧制法政大学に進むが中退し1939年に東京セネタースに入団。1年目に33勝をあげると、翌1940年も33勝、さらに防御率0.93で最優秀防御率のタイトルを獲得[1]。1942年5月23日の朝日戦ではあわやノーヒットノーランの快投を演じた。林安夫に安打を打たれ大記録はならなかったが、翌24日の対名古屋軍戦(後楽園球場)も先発登板する。この試合では当時世界最長の延長28回を344球で先発完投(名古屋軍の先発投手・西沢道夫も共に完投)。同年は66試合に登板しリーグ1位の40勝、264奪三振を記録した[2]。シーズン40勝はヴィクトル・スタルヒン・稲尾和久(ともに42勝)に次ぐ記録で、戦後の一時期にスタルヒンの記録が40勝とされていたときには日本記録保持者でもあった。この年のシーズン19完封は翌年に藤本英雄がタイ記録を作ったものの、現在もプロ野球タイ記録。翌1943年25勝をあげて応召。
引用元:野口二郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E4%BA%8C%E9%83%8E

西沢 道夫(西澤 道夫、にしざわ みちお、1921年9月1日 – 1977年12月18日)は、東京府荏原郡大崎町(現・品川区)出身の元プロ野球選手(投手、一塁手)・コーチ・監督、解説者。初代「ミスタードラゴンズ(2代目は高木守道、3代目は立浪和義である[1]」)である。また、「文ちゃん」(ブンちゃん)の愛称で親しまれた(#プロ入り・投手時代を参照)。

1942年5月24日対大洋戦(後楽園球場)に先発。大洋の鉄腕野口二郎と投げあい、世界最長となる延長28回を311球で完投した。同年7月18日にはノーヒットノーランも達成する。1943年のシーズンを最後に応召。
引用元:西沢道夫 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B2%A2%E9%81%93%E5%A4%AB