「人見絹枝」日本人女性初メダリスト 1928アムステルダム800m銀

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夏季五輪で初めてメダルを
獲得した日本の選手は
熊谷一弥ですが

夏季五輪で初めてメダルを
獲得した日本の女性選手は
◯◯◯◯?
◯の漢字をひらがなで答えなさい
ひとみきぬえ(答)
「人見絹枝」
54%

人見 絹枝(ひとみ きぬえ、1907年(明治40年)1月1日 – 1931年(昭和6年)8月2日)は、岡山県御津郡(現:岡山市南区)出身の陸上競技選手、ジャーナリスト。日本人女性初のオリンピックメダリスト。100m、200m、走幅跳の元世界記録保持者。

>アムステルダムオリンピックに出場し、女子の個人種目全て(100m、800m、円盤投、走高跳)にエントリーした(走幅跳は採用されず、事実上100m一本に絞っていた)。7月30日、100m予選は1着で通過したものの、同日準決勝は12秒8で4着となり決勝進出を逃した。8月1日、800m予選を2分26秒2で通過する。8月2日、800m決勝は2分17秒6でドイツのリナ・ラトケに次ぐ2着となり、人見は日本人女性初のオリンピックメダリスト(銀メダル)となった[注 1]。8月5日、走高跳の予選に出場するも1m40で予選落ちとなった。
引用元:人見絹枝 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E8%A6%8B%E7%B5%B9%E6%9E%9D

知恵蔵miniの解説
人見絹枝

戦前の女子陸上競技選手。1907年1月1日生まれ。26年、第2回国際女子競技大会に出場、走り幅跳び優勝、立ち幅跳び優勝、円盤投げ2位などの成績を残し、国際女子スポーツ連盟会長より名誉賞を授与される。28年7月、アムステルダムオリンピックに出場。女子の個人種目すべてにエントリーし、8月2日800メートル走で銀メダルを獲得。日本人女性初の五輪メダリストとなる。その後、30年まで世界の第一線で活躍し続けたが、女子選手への当時の蔑視・偏見の中、過密な大会スケジュールや資金の工面などで体調を崩し、翌31年3月、肋膜炎で入院。同年8月2日、肺炎により死去。享年24。著書に『スパイクの跡』『戦ふまで』『ゴールに入る』などがある。
(2012-07-09)
引用元:人見絹枝(ひとみきぬえ)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E4%BA%BA%E8%A6%8B%E7%B5%B9%E6%9E%9D-120376

熊谷 一弥(くまがい いちや、1890年(明治23年)9月10日 – 1968年(昭和43年)8月16日)は、福岡県大牟田市出身の男子テニス選手。旧漢字表記では 熊谷 一彌 と書く。
熊谷は日本テニス界の黎明期を築き、清水善造と共に日本人テニス選手の世界挑戦への道を開拓した選手のひとりである。1918年(大正7年)の全米選手権において日本人テニス選手として史上初のグランドスラムベスト4に進出した。
1920年(大正9年)のアントワープ五輪で男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得し、日本スポーツ界に初めてのオリンピック・メダルをもたらした。
英語文献では“Ichiya Kumagae”(イチヤ・クマガエ)と表記されることが多い。
引用元:熊谷一弥 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E4%B8%80%E5%BC%A5