長嶋茂雄引退「1974」 王貞治引退「1980」

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元読売ジャイアンツの選手
長嶋茂雄が現役を引退したのは
西暦1974年ですが

王貞治が現役を引退したのは
西暦何年?
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25864
1980(答)

長嶋 茂雄(長島 茂雄[1]、ながしま しげお、1936年(昭和11年)2月20日 – )は、千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身の元プロ野球選手(内野手)・プロ野球監督。読売ジャイアンツ終身名誉監督。日本プロ野球名球会顧問。血液型はB型。
闘志溢れるプレイと無類の勝負強さで巨人の4番打者として活躍し続け、多くの国民を熱狂させた。「ON砲」として並び称された王貞治とともに巨人のV9に大きく貢献した。2001年より株式会社よみうり(現:株式会社読売巨人軍)専務取締役、巨人軍終身名誉監督。2013年、国民栄誉賞を受賞した。
>1974年10月12日、中日の優勝が決まり巨人のV10が消えた日、長嶋は現役引退を表明。翌日のスポーツ新聞の一面は長嶋引退の記事一色となり、中日の優勝はまるで脇に追いやられてしまったという[28]。引退会見では「僕はボロボロになれるまでやれて幸せだった。最後まで試合に出ますよ」と残りの中日戦2試合の出場を約束した。また、別のインタビューでは「『あしたはきっと良いことがある』。その日、ベストを出しきって駄目だったとしても、僕はそう信じ、ただ夢中でバットを振ってきました。悔いはありません」と自分の現役時代について振り返った[6]。
引用元:長嶋茂雄 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B6%8B%E8%8C%82%E9%9B%84

王 貞治(おう さだはる、中国語拼音:Wáng Zhēnzhì、1940年5月20日 – )は、日本生まれ、中華民国籍の元プロ野球選手・監督(読売ジャイアンツ監督(第12代)、福岡ソフトバンクホークス監督(第18代))、WBC第1回大会(2006)日本代表監督を務めた。福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長。日本プロ野球名球会顧問。
通算本塁打868本を記録し、巨人のV9に貢献。1977年、初めて国民栄誉賞を受賞した人物であり、2010年には文化功労者として顕彰された。
>1980年、シーズン1号本塁打で、オープン戦、日本シリーズ等も含めた通算した総本塁打数1000に達したが、打率.236 (その年の規定打席到達者の中で最低の打率) ・30本塁打・84打点に終わり、ついにベストナインの選出からも漏れる。OPSに至っては.803と一本足打法に切り替えた1962年以来では自己最低の数字であった。
>11月4日、現役引退を表明。「王貞治としてのバッティングができなくなった」が引退発表時の言葉だった。王が後日、引退を決意した瞬間について、「その年 (1980年) の後楽園球場での中日との試合で、先発した戸田 (善紀) 君の球がものすごく速く見えた。前の自分なら打てるはずの球が打てなくなったので、『ああ、俺ももう御仕舞いかなあ…』と思ったんだよ」と語っている。また、近藤唯之ほか複数の記者が王が試合中に当時流行していたルービック・キューブを回す姿を目撃しており、近藤はこの王の姿を見て「王はもう燃え尽きたんだ」と思ったという。また、王は「本当は1000本打つまで現役やりたかった。756号を境に周囲の目、環境、生活が一変してしまった。アーロンが755本で終わらずに900本も打ってくれていればなぁ」とも語っている[27]。
引用元:王貞治 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E8%B2%9E%E6%B2%BB