「山崎一彦」 1995世界選手権400mHの日本人初のファイナリスト

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1995年の世界陸上選手権・
男子400mハードルで
7位入賞を果たした
日本の陸上選手は?
本山司崎和
一伊彦藤浩
山崎一彦(答)

山崎 一彦(やまざき かずひこ、1971年5月10日 – )は、日本の元陸上競技者。専門は400メートルハードル。埼玉県与野市(現さいたま市中央区)出身。武南高校、順天堂大学体育学部体育学科卒、筑波大学大学院体育研究科修了。現在は順天堂大学スポーツ健康科学部准教授。日本陸上競技連盟強化副委員長。強化育成部長。2014年から2020東京オリンピック特別対策プロジェクトのディレクター。
>成績
オリンピック 400mH 予選1組3着 (1996年)
世界選手権 400mH 7位 (1995年)
4x400mR 予選1組4着
(1995年, 1999年)
地域大会決勝 アジア選手権
400mH 3位 (1996年)
国内大会決勝 日本選手権
400mH 優勝 (1996年, 1999年)
>日本人として初めて世界選手権400mハードルのファイナリスト(1995年イエテボリ大会7位)となる。(同大会の準決勝進出者でもあった)苅部俊二・斎藤嘉彦らとともに日本の400mハードルを一気に世界レベルへ押し上げた貢献者である。前半型スタイルは、後に世界陸上メダリストとなった為末大につながった。
同大会の予選で、48秒37のアジア記録(当時)を樹立。山崎はこの大会で、1991年世界陸上東京大会、1992年バルセロナオリンピックの400mでファイナリストとなった高野進以来の陸上競技短距離個人種目ファイナリスト(7位)となる。決勝後、涙を流しながらのインタビューを見せた。
引用元:山崎一彦 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E4%B8%80%E5%BD%A6

 1990年代初頭から、苅部俊二(法政大→富士通)や斎藤嘉彦(法政大→東和銀行など)とともに400mハードルで世界に挑み、1995年の世界選手権では日本人初のファイナリストとなった山崎一彦氏(順天堂大→デサント)。1992年バルセロナから2000年シドニーまで3大会連続でオリンピックに出場し、現役引退後は日本陸上競技連盟(日本陸連)の強化委員として、幾多のトップ選手の指導に関わってきた。若手の統括強化育成部長として活動する山崎氏に、日本陸上界の現状について語ってもらった。
>「私が日本陸連・強化委員会のハードル部長をやっていたころ、シニアの選手たちを見ていたのですが、そのとき、『もう、自分が教育するものはないな』と感じたんです。彼らがジュニアや大学生の時に、国際大会への位置づけや動機づけ、姿勢などを変えなければいけないなと。シニアになってから変えようと思っても、無理だなと実感したんです」
> それに、もうひとつ問題だと思っていたのは、『日本の大学には、ハイパフォーマンスコーチと呼べる存在がいない』ということでしたね。高校までは順調に育成できているけど、大学では研究者という肩書きの人たちがコーチをやっていて、コーチング技能に優れている人が評価されていないのが問題だったんです。だから、まずは先物買いで、強化選手になっていない若手に投資して、意識を変えてもらおうと思いました」
引用元:【陸上】山崎一彦が語る「『若手の発掘』を否定する育成論」|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Other http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/2014/10/30/post_408/