「ジム・ソープ」五輪アマチュア規定違反第1号 その後名誉回復 現在の五輪憲章に「アマチュア」なし

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五輪においてアマチュア規定
違反第1号となった選手は
カール・シュランツである
✕(答)
◯ジム・ソープ

アマチュアリズム(英語: amateurism)とは、オリンピック運動の創始者であるピエール・ド・クーベルタンが、その運動の理念として提唱した思想で、「オリンピックの出場者は、スポーツによる金銭的な報酬を受けるべきではない」とする考え方。
>現在は、オリンピック憲章からは「アマチュア(リズム)」という単語は削除されている。世界的なスポーツ界の流れとしても事実上存在しないに等しい。
>ジム・ソープ事件[編集]
初期のオリンピックにおけるアマチュアリズムに関わる事件としては、アメリカの陸上競技選手だったジム・ソープのケースが挙げられる。1912年のストックホルムオリンピックの十種競技と五種競技の金メダリストとなったソープは、野球のマイナーリーグでのプレー歴があった(詳細はソープの項目を参照)ことが大会終了後明るみに出たため、翌1913年に金メダル剥奪・記録抹消という厳しい処分を受けた[1]。69年後の1982年にIOCはソープの復権を決定し、金メダリストとして認定された[1]。ソープの死去から29年後のことである
引用元:アマチュアリズム – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

ジム・ソープ(Jacobus Franciscus “Jim” Thorpe, 1888年5月28日[1] – 1953年3月28日)は、陸上競技、野球、アメリカンフットボールなどで幅広く活躍したアメリカのスポーツ選手。サック&フォックス族インディアンで、部族員としての名は「輝ける道」を意味するワ・サ・ハク(Wa-Tho-Huk)という[2]。
>1913年、オリンピックに参加する運動選手にとってアマチュア主義に関する厳しい規則が発効した。何らかの大会で賞金を受け取った者、スポーツの教師、過去にプロ選手と対戦した者はアマチュア資格を喪失した者として競技会から締め出された。
1913年1月下旬、アメリカの新聞はソープが過去にプロ野球でプレーしていたことを記事にした。最初に報じた新聞がどこかははっきりしないが、マサチューセッツ州のウースターテレグラム(Worcester Telegram)がスクープを掲載している[14][18]。
>その年の後半、IOCはソープがプロ選手でありアマチュア資格を喪失しているものと認定し、彼のオリンピックのタイトル、メダル、および賞を剥奪することを全会一致で決定した。彼の剥奪されたメダルはその後ローザンヌのIOC本部に保管された[6]。
>1982年に、ホイーラーとリドロンはジムソープ財団を設立し、アメリカ合衆国議会から支持を獲得した。 彼らは当時ソープの資格剥奪がオリンピック規則で許容された、閉会式から30日間の期間の後に行われたことを立証し、1982年10月にIOC理事会はソープの権利回復を承認した[20]。 ただし、当時繰り上げで金メダルを獲得した五種競技のフェルディナンド・ビー、十種競技のフーゴ・ウィースランダーともに繰り下げずにそのままとし、ソープも金メダルを獲得したものとした。
1983年1月18日、IOCはソープの二人の子供に記念メダルを贈った[20]。ソープが1912年に受け取ったオリジナルのメダルは博物館に保管されていたが、盗難にあって後行方不明のままである[48]
引用元:ジム・ソープ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%97

アマチュア問題を乗り越え、自然との調和を目指す時代へ
戦後、アルペン人気が上昇、選手がスキー業界からさまざまな援助を受けるようになり、選手の側はメディアに映像を撮られる時、自分のスキーの商標がはっきり見えるようにする、というような状況が一般化したからです。ついに1972年、第11回札幌大会の開幕直前、ブランデージIOC会長(米国)は、ついに滑降の金メダル候補、カール・シュランツ(オーストリア)をアマチュアではなく“走る広告塔”(プロ)としてやり玉に挙げ、IOC総会は多数決(28対14)で、彼をオリンピックから追放してしまいます。史上初の出来事でした。
引用元:JOC – 冬季オリンピックの歴史 http://www.joc.or.jp/column/olympic/winterhistory/0202.html

この悲劇は、商業化の進行に対して、五輪のあり方やスポーツの本質を問いかける事件となりました。そして、同年のミュンヘン五輪を最後にブランデージがIOC会長を辞任してから、スポーツ界は面従腹背の時代に終わりを告げます。キラニン卿が会長時代の1974年には、五輪参加資格規定から「アマチュア」の文字を削除し、現状を追認。そして、1980年にIOC会長に就任したファン・アントニオ・サマランチからは、IOC自体が商業主義導入とプロ選手の参戦を容認するオープン化を推進。完全にアマチュアリズムから決別して180度大転換しました。

そして、この事件から16年後の1988年12月8日。IOCはシュランツの札幌五輪資格停止処分を取り消して、名誉回復をしました。
引用元:シュランツ事件から今日でちょうど38年 – うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」 http://blog.goo.ne.jp/nekonabe48/e/ea84c3062863741fc96564796bdb2990

えーっ、そうだったの?! どうしてプロ選手はだめだったの?

もともとオリンピックには、「参加する栄誉が一番の報酬だ」という考えがあって、スポーツをしてお金を稼いでいる人は参加にふさわしくないとされていたんだ。

そうなんだ……。でも、いまオリンピックに出ているサッカーやテニスの選手はほとんどがプロの選手だよね? 以前は出られなかったってこと?

そうだよ。でも、そうやって時代が移るにつれて、プロ選手が活躍するスポーツがどんどん盛んになってきた。オリンピックの観客も、そういう一流選手のプレーを見たいし、IOCも、トップレベルのアスリートたちを世界の人たちに見てほしい。そういうわけで、オリンピック憲章もついに方向転換することになって、1974年に「アマチュア」という言葉が削除されたんだ。
>最初にプロ選手が参加した大会はいつだったの?

1988年ソウル大会だよ。女子テニスで、西ドイツのシュテフィ・グラフ選手が金メダルを獲ったんだ。
でも、プロ選手の参加がもっとも注目されたのは、1992年バルセロナ大会の男子バスケットボールだね。当時のスーパースターだったマジック・ジョンソン率いるアメリカの“ドリーム・チーム”が圧倒的な強さで勝ち進んで、金メダルを獲得。世界中の人たちが、一流のプレーを楽しんだんだ。
引用元:JOC – オリンピズム | オリンピズムってなんだろう 第5回 時代とともに変わるオリンピック憲章 http://www.joc.or.jp/olympism/education/20090402.html