全日本女子バレー五輪金メダル監督「大松博文(ひろぶみ)」「山田重雄」 バレーボール殿堂「大古誠司」「森田淳悟」「大松博文」「松平康隆」「山田重雄」ほか

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次のうち、監督として
バレーボールの全日本女子
チームを金メダルに導いた
人物を全て選びなさい
山田重雄(答) モントリオール五輪
大松博文(答) 東京五輪
松平康隆 ミュンヘン五輪男子バレーで金メダル

明記されていませんが「五輪」で金メダルと判断しました。

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ミュンヘン五輪で金メダルを
獲得したときの、全日本男子
バレーボールチームの監督は?
松平康隆(答)


文字パネル
バレーボールの全日本女子が東京五輪で金メダルを獲得したときの監督は?
大松博文(答)

ですが、モントリオール五輪で金メダルを獲得したときの監督は?
山田重雄(答)

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次のうち、アメリカの
バレーボルの殿堂入りを
果たしている日本人を
1つ選びなさい
田中幹保 
大古誠司(答)
三屋裕子
寺廻太
植田辰哉
森田淳悟(答)
柳本晶一
大松博文(答)
松平康隆(答)
山田重雄(答)

大松 博文(だいまつ ひろぶみ、1921年2月12日 – 1978年11月24日)は、1964年東京オリンピックでのバレーボール全日本女子チーム監督、元参議院議員(自由民主党、1期)である。香川県綾歌郡宇多津町出身。バレーボール殿堂入り。
>1964年(昭和39年)、東京オリンピックでは、全日本女子バレーボールチームを、「回転レシーブ」に象徴される守備を重視した戦法により金メダルに輝かせる。選手への『おれについてこい!』『なせば成る』(上杉鷹山の言から引用。)などの名文句からは著書を生み出し、『おれについてこい!』は同タイトルで映画化もされた[2]。
大松博文 – Wikipedia

山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 – 1998年2月5日)は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のバレーボール指導者。全日本女子バレーボールチーム監督を務めた。
>日立の選手を中心とした全日本では1968年メキシコ五輪で銀メダル、1976年モントリオール五輪で金メダルを獲得した。また1974年世界選手権、1977年ワールドカップで金メダルに導き世界初の三冠監督に輝いた。特にモントリオール五輪では、すべての試合で1セットも落とさないストレート勝ち[2]で優勝するという空前絶後の快挙を成し遂げている。山田は1988年のソウル五輪で10年ぶりに全日本女子の監督となったが、同五輪で4位となりメダルを逃した後に全日本監督を退任し、日立の監督に戻った。
山田重雄 – Wikipedia

東京五輪が終わった直後の10月に全日本男子監督に就任。8カ年計画で、ミュンヘン五輪で金メダルを取るということを目標にチーム作りを始めた。そして4年後のメキシコ五輪では銀メダル、8年後のミュンヘン五輪では、とうとう金メダルを獲得したのである。男子のボールゲームで金メダルを獲ったのは、公開競技時代の野球を除けば、このミュンヘン五輪のバレーボールが唯一のものだ。
【男子バレー】男子ボールゲームで唯一の金メダルを獲った男、松平康隆の生涯|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Otherball

バレーボール殿堂(バレーボールでんどう、Volleyball Hall of Fame)はアメリカ合衆国マサチューセッツ州ホルヨーク市に所在する、バレーボールに多大な功績の残した人を記念するために設立された博物館である。
バレーボールの発祥の地であるマサチューセッツ州ホルヨークで町おこしをしようという目的で1971年 に特別委員会が設置された。地元の図書館でバレーボールの展示コーナーが設けられたが独立した建物を作ろうという計画になり、1987年にバレーボール殿堂は開館した。
監督
>松平康隆 1998 日本 元全日本男子監督
>大松博文 2000 日本 ニチボー貝塚監督
>山田重雄 2006 日本 元日立ベルフィーユ・全日本女子監督
男子インドア選手
>森田淳悟 2003 日本 ミュンヘンオリンピック金メダリスト
>大古誠司 2004 日本 ミュンヘンオリンピック金メダリスト
女子インドア選手
>白井貴子 2000 日本 モントリオールオリンピック金メダリスト
>河西昌枝 2008 日本 東京オリンピック金メダリスト
バレーボール殿堂 – Wikipedia