「六車卓也」むぐるまたくや「エンドレスファイター」大阪帝拳ジム 元WBAバンタム級王者

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現役時代は大阪帝拳ジムに所属
元WBA世界バンタム級王者
アサエル・モランを倒し王座獲得
「エンドレスファイター」
友利正 ともりただし
大橋秀行 おおはしひでゆき
井岡弘樹 いおかひろき
六車卓也(答) むぐるまたくや

六車 卓也(むぐるま たくや、1961年1月16日 – )は、日本の元プロボクサー。大阪府大阪市出身。第41代WBA世界バンタム級チャンピオン。大阪帝拳所属。
>後退を知らない積極果敢な攻撃スタイルから、「エンドレス・ファイター」との異名を持った。その名が示す通り、豊富なスタミナと力強いチャージが売り物のアグレッシブなボクサーだった。なお、トランクスには「MUSHA」とプリントされていた。得意の左ストレートは「槍の左」と呼ばれた。
ムシャ(MUSHA)とは高校時代ラグビー部でのあだ名である。またプロボクサー時代の(MUSHA)は武者との意味もある。
現役引退後、現在はスポーツメーカーミズノの社員として数多くのプロボクサーをサポートする。
>1987年3月29日、世界初挑戦。アサエル・モラン(パナマ)と空位のWBA世界バンタム級王座を争い、5回TKO勝ち。27戦目で世界王者に輝く。
1987年5月24日、初防衛戦。1位の朴讃栄(韓国)と対戦し、11回TKO負け。2ヵ月弱で世界王座を手放す。
1988年1月17日、世界再挑戦。前年10月に朴を降してWBA世界バンタム級王座を獲得したウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑むが、フルラウンドの激闘の末、三者三様の引き分けで世界王座返り咲きならず(この試合を皮切りに、その後、国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗回数が「21」まで伸びる)。
引用元: 六車卓也 – Wikipedia.

友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 – )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。第9代WBC世界ライトフライ級チャンピオン。俳優顔負けのルックスを持つ美男子ボクサーとして知られる。トレーナーはデビュー当初は三迫将弘、世界戦の直前からエディ・タウンゼント。
>1982年4月13日、後楽園ホールでのアマド・ウルスア(メキシコ)の初防衛戦の相手として世界戦が実現。右ブローが序盤から抜群の切れ味を見せ、中盤までをほぼ完璧に支配した。終盤になって王者の強打が猛威を振るい始めたが、中盤までの貯金を守りきって2-0の判定勝ちを収め世界王座を獲得した。
引用元: 友利正 – Wikipedia.

大橋 秀行(おおはし ひでゆき、1965年3月8日 – )は、日本の元プロボクサー。神奈川県横浜市出身。現役時代はヨネクラボクシングジム所属。日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)、WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得した。現在は大橋ボクシングジム会長。2007年4月1日より東日本ボクシング協会会長、2010年4月1日にはこれと兼務する形で日本プロボクシング協会(JPBA)会長に就任している[1]。2013年からは日本ボクシングコミッション(JBC)理事も務める[2]。
兄の大橋克行もプロボクサーとして活躍した。山際淳司の「逃げろ、ボクサー」のモデルとして知られる。
>1990年2月7日、階級を1つ下げ、ミニマム級での世界挑戦。後楽園ホールでWBC世界同級王者崔漸煥(韓国)に挑む。当時、日本ボクシング界は1988年11月13日に井岡弘樹がナパ・キャットワンチャイ(タイ)に敗れ、WBC世界ミニマム級王座から陥落して以降、世界王者不在の状態が続いており、国内ジム所属選手の世界挑戦連続失敗回数も「21」にまで伸びていた。
>この瞬間、世界挑戦連続失敗記録にストップがかかり、日本ボクシング界に1年3か月ぶりの世界王者が誕生した。久しぶりの世界王者誕生に会場からは「万歳!」の声が何度も響き、当の本人も「自分が勝ったことよりも世界挑戦連続失敗記録にストップを掛けられたことが嬉しい」と喜びを爆発させた。
引用元: 大橋秀行 – Wikipedia.

井岡 弘樹(いおか ひろき、1969年1月8日 – )は、日本の元プロボクサー、タレント。第2代日本ミニマム級王者、初代WBC世界ミニマム級王者、第11代WBA世界ライトフライ級王者。大阪府堺市出身。現役時代はグリーンツダボクシングクラブ所属。エディ・タウンゼントの最後の愛弟子。井岡ボクシングジム初代会長。現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属タレント(マネジメント契約)として活動する傍ら、井岡ボクシングトレーニングジム(通称:井岡弘樹ジム)の会長も務める。右ボクサータイプ。大阪経済大学経営学部在学中。
>恵まれた体格を生かしたアウトボクシング、軽量級らしい伸びのある左ジャブ・右ストレートを武器に国内最年少の18歳9ヶ月10日でWBC世界ミニマム級王座を獲得した。
また、1991年12月にはWBA世界ライトフライ級王座も獲得しファイティング原田・柴田国明に続き史上3人目となる世界王座2階級制覇を達成した。
1987年、第2代日本ミニマム級王者(ちなみに獲得時の最年少日本王者であり、国内最年少世界王者[1][2]ともに2014年5月現在も破られていない)
引用元: 井岡弘樹 – Wikipedia.