【ドイツ降伏】

漫画『ジョジョの奇妙な冒険』
第2部の登場人物シュトロハイム
が、第二次世界大戦で戦死したのは
どこの戦線?
スターリングラード戦線(答)
西部戦線
レニングラード戦線
北アフリカ戦線
48%

ルドル・フォン・シュトロハイムとは、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」第二部「戦闘潮流」の登場人物である。

CV:伊丸岡篤

概要
誇り高きナチス・ドイツ軍人。階級は少佐。再登場後は、なぜか大佐に昇進している。
傲岸不遜でかつ登場当初付近に限れば「権力を笠に着たヘタレ」のようにも見えるが、勇気ある者には立場に限らず敬意を表したり、敵を倒すためなら躊躇無く己の身を犠牲にできるなど、誇りと愛国心の高さを裏付ける勇気を持ち合わせる。二部後半の機械化した姿と、世界一ィィィィなどの台詞が有名。

わがドイツの医学薬学は世界一ィィィ!
うろたえとる場合かーッメキシコで「柱の男」を蘇生させる命を受け成功する。しかし逆に「柱の男」サンタナ(命名はシュトロハイム)に隔壁から抜け出される。サンタナに脚を取り込まれたときにはジョセフ・ジョースターに自らの脚を絶たせ、さらに太陽の光から逃れるために体の内部に入ってきたサンタナに太陽光を浴びせるために手榴弾で自爆した。

ナチスの科学は世界一チィィィィ!!
メキシコで木っ端微塵に爆裂死したと思われたシュトロハイムだが、(本人が言うとおり)ナチスの科学力は半端なく、半分機械化して復活。スイスでエイジャの赤石を確保する。
確保の後ジョジョ一行と一時コテージに場所を移すが、そこで赤石を確保しにきたカーズと対峙した。

1950kg/c㎡もある指の力でカーズの手の一部を引きちぎったり、腹部に仕込まれた「一分間に600発の徹甲弾を発射可能!30mmの鉄板を貫通できる重機関砲」で建物の壁をぶち破りつつ外に叩き出すなど、ナチスの世界一な科学力を存分に発揮して優勢な展開を見せた。だがしかし柱の男の力は伊達ではなく、カーズの輝彩滑刀によって真っ二つにされ赤石を奪われてしまう。

が、ナチスの科学力は世界一チィィィィ!!その程度で完全にやっつけられるわけがないッ!!右目に仕込まれた小型の紫外線照射装置でカーズを怯ませると同時に赤石を手から離れさせ、最悪の事態を回避した。

ちょいと右脚がギクシャクするがァァァァ 俺のカラダは 修理は完了ォォォォォ
カーズとの戦で真っ二つにされ1対1の戦いでは敗北してしまったシュトロハイムだが、その程度でへこたれるわけはなかった。体を修理してジョセフ対カーズ戦で再び登場、ジョセフに協力し吸血鬼部隊を相手にする。

その後
カーズ戦後は、ジョセフと再会することなくスターリングラード戦線で戦死。
シュトロハイムが死ぬほどとてつもない戦場だったのだろう。

また、小説「恥知らずのパープルヘイズ」では、ナチスドイツが行っていた石仮面の研究における責任者であったことが明かされている。

その他では、第七部「スティール・ボール・ラン」において「フリッツ・フォン・シュトロハイム」という名前のキャラクターが登場している。この人物も自身に改造を施していた。
引用元:ルドル・フォン・シュトロハイムとは (ルドルフォンシュトロハイムとは) [単語記事] – ニコニコ大百科 https://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%A0

「我がドイツの医学薬学は世界一ィィィ!できんことはない…
「我がドイツの医学薬学は世界一ィィィ!できんことはないイイィーーーーッ!!」
印象が強すぎて「世界一ィィィ」と数多く言っている気がしてしまうが、全部で3回しか言ってない。

フフフフフ。名前がほしいな。『柱の男』じゃあ今いち呼びにくいッ!このシュトロハイムが名づけ親(ゴッドファーザー)になってやるッ!そうだな…『メキシコに吹く熱風!』という意味の『サンタナ』というのはどうかな!
『サンタナ』ってホントに『メキシコに吹く熱風』という意味があるのか???
調べてみたところ、サンタナとはマリアの母・アンナ(Santa Ana)に由来する言葉で、アメリカ南西部やメキシコで秋に強く吹く季節風の名前にも使われている。
さすがシュトロハイム少佐。博識~

「飲んどる場合かーッ」
関西のツッコミ風の手と、鬼気迫る形相のギャップが素晴らしい。
今もネット上であらゆるコラージュに使用されている。

ルドル・フォン・シュトロハイムのモデルは誰なのか?
ジョジョ第2部に登場するルドル・フォン・シュトロハイムのモデルは、実在した映画監督・俳優のエリッヒ・フォン・シュトロハイムであるという説が有力である。

登場人物名やスタンド名の多くは洋楽のミュージシャンやグループ名から採られていることが多く、映画関係者から名前が採られるというケースは珍しい。
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
エリッヒ・フォン・シュトロハイム
オーストリアで生まれハリウッドで活躍した映画監督・俳優、エリッヒ・フォン・シュトロハイム。
リアリズムを徹底追求した完璧主義者で8時間を超える映画を製作したり、過酷な撮影で死者を出すなど『暴君』と呼ばれた狂気の芸術家。
俳優やスポンサー、映画会社など周囲との衝突により、43歳にして映画作りの道を断たれ、呪われた監督となった。

不死身の軍人、シュトロハイムの最後
カーズとジョセフの最終決戦を最後まで見届けたシュトロハイムはその後どうなったのか?

エピローグでは、「ジョセフに再会することなく1943年のスターリングラード戦線で誇り高きドイツ軍人として名誉の戦死を遂げる」と語られている。
1943年、スターリングラード戦線で戦死
1943年、スターリングラード戦線で戦死
まさか、シュトロハイムが死亡?
しかも戦士だと…。
自爆しても、体が上下に真っ二つになっても死ななかったあのシュトロハイムが…。
人間相手の戦争で死亡するなんてありえない。
引用元:「世界一ィィィ!」ジョジョ第2部に登場した人気脇役シュトロハイム。数々のエキセントリックな言動を振り返る (page 3) – Middle Edge(ミドルエッジ) https://middle-edge.jp/articles/AJLUM?page=3

スターリングラードの戦い
すたーりんぐらーどのたたかい
第二次世界大戦中、1942年11月から翌年1月にかけてソ連軍が、ドイツ軍に突入されたスターリングラードСталинград/Stalingrad(現ボルゴグラード)を包囲奪回した戦いをいい、大戦の決定的な転換点の一つとされている。
 1942年夏、ヒトラーは独ソ戦線では南部に力を注ぎ、軍を二つに分け、一つをカフカスの穀倉・油田地帯に、一つをスターリングラードに向けた。スターリングラードはボルガ川下流の工業都市で、戦略的要衝であっただけでなく、スターリンの名を冠したこの都市を奪うことで重大な心理的打撃を与えようとしたのである。それだけにソ連軍の抵抗も激しかった。1942年9月、ドイツ軍(パウルス将軍麾下(きか)の第6軍、33万)は市内に突入したが、市街戦は激しく、全市を制圧できなかった。この間ソ連軍は反攻計画をたて、同年11月19日、まず市の西約100キロメートルにあるドイツ側のルーマニア第3軍を攻撃し、南西に壊走させた。翌20日、市の南から西に向かって攻撃し、ルーマニア第2軍を壊走させ、23日にはドイツ第6軍を包囲するに至った。パウルスは第6軍の南西への撤退を要請するが、ヒトラーは拒否し、あらゆる援助を約束した。だが空輸による補給は要求の7分の1にも及ばず、マンシュタイン元帥による包囲突破作戦(12月)も失敗した。1943年1月、ソ連軍は包囲を狭め、市内に突入するとともに降伏を勧告した。パウルスの降伏許可要請を、ヒトラーは拒否し、元帥昇進で激励したにすぎない。同月31日パウルスは降伏し、24人の将軍、2500人の将校を含む9万1000人が捕虜となった。
 この戦いは、独ソ戦の転換点になった。以後、ソ連軍の士気はあがり全面的な反攻に転じたのに対し、ドイツ軍は衝撃を受け守勢にたたされた。連合軍でも、スターリングラードは反撃の合いことばとなった。[吉田輝夫]
引用元:スターリングラードの戦い(スターリングラードのたたかい)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84-84033

西部戦線(せいぶせんせん, Western Front)とは、複数の戦線が存在する大規模な戦争において、西に位置する戦線の名称として用いられる。一般的には第一次世界大戦または第二次世界大戦において、フランス、ドイツおよびベネルクス三国に形成された前線をさす事が多い。(アメリカ独立戦争に関しては西部戦線 (アメリカ独立戦争)を、南北戦争に関しては西部戦線 (南北戦争)を参照のこと)
引用元:西部戦線 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%83%A8%E6%88%A6%E7%B7%9A

レニングラード包囲戦(レニングラードほういせん、ロシア語:Блокада Ленинграда ブラカーダ・リニングラーダ、1941年9月8日 – 1944年1月18日)は、第二次世界大戦の独ソ戦における戦闘のひとつ。

ドイツ軍はソビエト連邦第2の大都市レニングラード(現・サンクトペテルブルク)を900日近くにわたって包囲したが、レニングラードは包囲に耐え抜き、後にスターリンによって英雄都市の称号が与えられた。飢餓や砲爆撃によって、ソ連政府の発表によれば67万人、一説によれば100万人以上の市民が死亡した[2][3]。これは日本本土における民間人の戦災死者数の合計(東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎を含む全て)を上回る[要出典]。 この間、レニングラードの最高指導者はレニングラード党委員会第一書記の地位にあり、スターリンの後継者の有力候補の一人と目されていたジダーノフであった。
引用元:レニングラード包囲戦 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E5%8C%85%E5%9B%B2%E6%88%A6

北アフリカ戦線(きたアフリカせんせん)は、第二次世界大戦において1940年9月のイタリア軍によるエジプト侵攻から、1943年5月のチュニジアの戦い(英語版)により、枢軸国軍の壊滅・ヨーロッパ本土撤退までを指す。エジプトからモロッコまで、北アフリカ北岸で行われた。
引用元:北アフリカ戦線 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%88%A6%E7%B7%9A