『どーみのす』

『ぷよぷよ』の元となった
コンパイルの落ち物パズルゲーム
どーみのす(答)
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『ぷよぷよ』には原型となるゲームが存在した

 1991年の誕生からいまだに人気を誇る『ぷよぷよ』だが、実は原型になるゲームが存在したと仁井谷氏は語った。当時テトリスのようなヒットを出したいという熱い野望から落ちものゲーム制作に進出。ミニゲームソフトが一緒になったパソコン雑誌『DiscStation』に収録された読者投稿のゲームをヒントに開発をしていた『どーみのす』が原型だという。

 この『どーみのす』はドミノの牌を組み合わせて消していく落ちゲーだった。仁井谷氏によると「ただ並んで消えるだけではおもしろみがない」ということで、『魔導物語』に登場したキャラクターを使い、まったく別のゲームとして『ぷよぷよ』が誕生したとのこと。
引用元:『ぷよぷよ』誕生秘話に大興奮 『魔導同窓会!コンパイルナイト!!』レポート – 週刊アスキー https://weekly.ascii.jp/elem/000/000/081/81989/

D4エンタープライズはレトロゲームを復刻する「プロジェクトEGG」より、MSX版「どみのん」の配信を6月22日より開始する。価格は1,000円(税別)。

 「どみのん」はコンパイル○が開発した落ちものパズルゲーム。「どーみのす」という名前でも開発されていた経緯があり、「ぷよぷよ」の前身ともいえる「同じ数字をそろえて消す」パズル。開発当時に発生したバグや作品の未完成度をそのまま再現しており、のちのコンパイル○製パズルゲームへのルーツとなった作品を楽しめる。
引用元:「プロジェクトEGG」、「あの」落ちものゲームにつながる「どみのん」を発売 – GAME Watch https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1064199.html

米光 一成(よねみつ かずなり、1964年12月22日[1][2] – )は、日本のゲームクリエイター、ライター、俳人、イラストレーター、元立命館大学映像学部教授、デジタルハリウッド大学客員教授。

略歴[編集]
広島修道大学人文学部英語英文学科卒業。1987年、コンパイルに入社。同社初の専門企画職として、『魔導物語』や『ぷよぷよ』などのタイトルを生み出す。これらはシリーズ化され、同社の看板タイトルとなった。
引用元:米光一成 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%85%89%E4%B8%80%E6%88%90

「ぷよぷよの生みの親はだれか」ということ
ツイッターで、「ぷよぷよの生みの親はだれだ」論争が勃発していて、けっこう記憶違いのニセ情報が流れていたので(こういうニセ情報が本当のことのように定着していくとゲームアーカイブ的にも困るのだよ)、「ぷよぷよの生みの親はだれか」ということを書いておく。

仁井谷社長は社長でプロデューサーだ。初代「ぷよぷよ」の企画監督は米光一成。ルール、キャラクター、仕組み、演出、物語などを生み出したのは、米光やそのときの開発メンバー。
メディアの姿勢によるのだが、いかにも仁井谷社長が企画開発したかのように誤報するところが多い(おそらく仁井谷さんはそのように語ってなくとも、だ)。テレビなどは「ぷよぷよ大ヒットで儲ける。が、転落して90億の借金を抱える」という物語が好きで、そこを使いたいために、仁井谷社長が「ぷよぷよ」を作ったかのように扱う。
これ、考えてみるとそうとうおかしい。『犬神家の一族』を書いた人として、横溝正史ではなく角川社長が出てくるようなものだ。
さすがに、ちゃんとしたゲームメディアは、社長と開発者が違うことは理解しているので、そのようなことはやらないだろう。

「ぷよぷよ」が誕生する経緯、とくに会社内の動きを、記録として書いておく。

「どーみのす」
「ぷよぷよ」が作られることになったきっかけは「どーみのす」だ。
コンパイルは当時、「もものきはうす」という別名義で18禁ゲームを作るチームがいた。
そこで「どーみのす」という落ちゲーが作られようとしていた。
引用元:ぷよぷよの生みの親はだれだ|米光一成|note https://note.mu/yonemitsu/n/n73e348e341f4