『大好きが虫はタダシくんの』【反復するのは宝物だから】

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阿部共実の短編漫画集の
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タダシくんの
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大好きが虫はタダシくんの
引用元:【漫画】「大好きが虫はタダシくんの」/「アベ」のマンガ [pixiv] https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=19369664
阿部 共実(あべ ともみ)は、日本の漫画家。兵庫県出身[1]。

2014年、『ちーちゃんはちょっと足りない』が「このマンガがすごい!2015」にてオンナ編の1位を獲得。同作で第18回文化庁メディア芸術祭 マンガ部門 新人賞を受賞。

amazarashiのファンで、「月曜日の友達」の映像作品に楽曲の使用を求めたところ、ボーカルの秋田ひろむも阿部作品のファンだとわかり、過去の曲ではもったいないという秋田の考えで、描き下ろした同名の新曲を提供された。漫画「月曜日の友達」の帯には、糸井重里の推薦文が書かれている。
引用元:阿部共実 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%85%B1%E5%AE%9F

TWで述べたように私はこの漫画を一気に読んで涙が止まりませんでした。
記憶が喪失したわけでもなく、言語体系が崩壊したわけでもないのに,親友とその友達友達の言葉、態度、嘲笑、駄洒落、叱責の言葉に主人公は打ちのめされます。当惑して混乱します。
「え、しおりちゃんは学校でいじめられているの」の問いかけに対する返事がオーム返しになり「え、しおりちゃんは学校でいじめられていますで」で変調して先は次のような一見支離滅裂な単語の配置になります。「だから、今日は嫌だからの学校が、反対を歩いてましたを道と」
一見支離滅裂な言葉しか発せられないこのアスペ(統合失調症かも知れませんね)の主人公の少女の心の奏でる哀しみの言葉の美しさを私は感じました。話し言葉の次元を超えた悲しみと狼狽の詩言葉だと思いました。こんな言葉は多数派の健常な所謂定型発達者には不可能です。
日常会話の言葉と詩の言葉。心が通わない言葉を使っていることに対する当惑は、戯曲夕鶴のつうの言葉に込められていると思います。
学ばなけれいけないのはマジョリティーの定型発達者ではないでしょうか。
引用元:大好きが虫はタダシくんの – RADIX-根源を求めて https://blog.goo.ne.jp/yosh0316/e/43e1c72a1c45acf6d69ad762a4a63241

21:47 from jigtwi for Android (Re: @tokosan111)
@tokosan111 娘によると定型発達の人は主人公の心が分からずに定型発達の立場で感想を述べるそうです!主人公は記憶が悪い訳ではないのに病気で記憶力が悪くなるとの誤解が多いそうです!友達の言葉を繰返すのは一語たりとも忘れたくない大切な言葉にしたいから…詩を暗誦する心だよ!娘の指摘です。参りました!娘に教わりました!幼い心が甦って来ました!

そして一作飛ばして「大好きが虫はタダシくんの」。
実はWEBでも読むことができる。
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=19369664
是非一読いただきたい。
これを読んでダメなら阿部共実には手を出さない方が良い。
なにか「来る」ものがあるなら是非他の作品も読んでいただきたい。

作中の「志織」は決して何かの病気であるとか、おかしくなってしまったとかそういうことではなくて、
(診断の結果としてなんらかの病気という判断はくだされるかもしれないが)
基本的には「普通」だと思っている我々と違うところは無く、
たった数本だけ回線が違っている部分があるのだろう。
表層の言葉から「志織」の感情を推し量ろうとすれば他の登場人物如く
「気味悪いから離れる」という態度を取らざるを得ないだろう。
彼女の台詞は他者の発言の復唱でしかなく、次第に支離滅裂になっていく。
絶望的にキャッチボールが成立しない。
だけど読者には「志織」が決して感情や情緒を持ち合わせていない訳ではないことが分かるはずである。
「奈緒」と会えたことの喜び、「奈緒」との思い出、「奈緒」の立場のために必至に頑張る気持ち、他者と巧く関わろうとしても噛み合ないことへの絶望、それがまざまざと感じられる。
人としての心は持ちながら、それを外界とコミュニケートすることができない。
ある意味「哲学的ゾンビ」の逆とも言える。
引用元:【レビュー】大好きが虫はタダシくんの―阿部共実作品集 – 愚かの頂で、骨になるまで http://yowske.hatenablog.com/entry/2013/01/17/001056

反響言語(はんきょうげんご)は、他者が話した言語を繰り返して発声すること。反響動作(英語版)の一種で、エコラリア(英: Echolalia、ギリシャ語で「繰返し」を意味するἠχώ(echo)[1]と、「話す」を意味するλαλιά(lalia)[2]から)とも呼ばれる。
引用元:反響言語 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E9%9F%BF%E8%A8%80%E8%AA%9E