「水野英子」トキワ荘に住んだ女性漫画家

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トキワ荘に住んだ唯一の女性
漫画家である、『ホフマン物語』
『ファイヤー!』で知られる
少女漫画家は誰?
野子宮竹水
和紀英恵大
水野英子(答)
みずのひでこ
58%

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手塚治虫の元アシスタント
『ふたりの気持ち』
『いとしのエリー』
夫は漫画家のわたべ淳
石坂啓
水野英子
きりえれいこ
高見まこ(答)

◯×
SFCのプロレスゲーム『大仁田厚FMW』は開始時に「1、2、3、ファイヤー」という大仁田厚の肉声が流れる
✕(答)
◯「FMWは絶対に潰さん」

水野 英子(みずの ひでこ、1939年10月29日 – )は、日本の漫画家。 山口県下関市出身。日本の女性少女漫画家の草分け的存在で、後の少女漫画家達に与えた影響の大きさやスケールの大きい作風から、女手塚(女性版手塚治虫)と呼ばれることもある。トキワ荘に居住した漫画家の紅一点。代表作『星のたてごと』、『白いトロイカ』、『ファイヤー!』。 2010年、第39回日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞[1]。
手塚治虫の『リボンの騎士』によって少女漫画に初めて長編ストーリーが導入された後、それをさらに発展させ1960年代までの間に、絵柄、取り扱うテーマ、ストーリー展開などの点で、現在に続く戦後少女漫画の基本形を確立した漫画家である。特に男女の恋愛を少女漫画で初めて描いた作家といわれる[2]。また、1960年代後半のカウンターカルチャーを真正面から扱ったロック漫画『ファイヤー!』は少女漫画の枠を超えて広い注目を集めた。
漫画史的にみると、手塚治虫が少年漫画で用いたダイナミックで映画的な表現技法を少女漫画に移植し、それを女性ならではの感性で昇華することによって(登場人物の衣装や髪型の緻密な描写、カラー原稿における華やかな色使い、恋愛感情の表現など)、当時の主流だった男性漫画家が描いた少女漫画にはない、女性の視点から描いた新しい少女漫画の世界を創出したとされる[3]。実際に、1950年代から1960年代初頭までは、石ノ森章太郎やちばてつやなどの男性漫画家が少女漫画を描くことが多かったが、水野の登場によって、ほとんどの少女漫画は女性によって描かれるようになっていった。
引用元:水野英子 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E9%87%8E%E8%8B%B1%E5%AD%90

水野英子さん(漫画家)と読む『漫画大学』
小さい頃から本の虫で、お小遣いを握っては家の向かいの貸本屋さんに行き、借りて読んでいました。小学校3年のあるとき、見たこともないような魅力的な絵の本があり、これは、と思って借りました。開くと、「漫画」の描き方を漫画の人物が講義し、実例として西部劇、おとぎ話、SFのストーリー漫画が詰まっている。講義も含めて全部が面白いんです。それまでの「漫画」は、西部劇やターザン映画が好きだった子どもにはまったく魅力がありませんでした。この本を読んで、「私は漫画を描く!」と思った。
引用元:水野英子さん(漫画家)と読む『漫画大学』 – 思い出す本 忘れない本 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト http://book.asahi.com/reviews/column/2015112200015.html

Q:「ご飯ですよ」と。

「ご飯ですよ」。朝晩そういう感じで食事をさせていただいていまして、昼はだからラーメン屋さんにラーメンを食べに行ったり、コッペパンを買ったりみたいなことでした。

実際、トキワ荘全体がやっぱり1つの、何て言うかな、気の合う友達の合宿所という感じがあったんですね。

楽しかったですよ、もうそれは。国にいるときは漫画の話ができるような友達が誰1人いませんでしたから、漫画というものがまだ世の中にあまり存在していない時代だったですから、その時代に漫画なんかをかくなんて女の子はめったにいませんでしたからね。

Q:なぜトキワ荘にお住まいになることになったんでしょうか?

石ノ森さん、赤塚さんと私と3人で合作の仕事をするために来たのですが。

山口県の下関市で生まれ育ちまして、あちらで漫画の最初の作品をやりとりしたんですけれども、大変だったので、上京してきました。出てこいと言われました。
引用元:水野 英子さん|証言|NHK 戦後史証言アーカイブス http://cgi2.nhk.or.jp/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0012100296_00000