「矢内原忠雄」『国家の理想』が発禁処分となった元東大総長「河合栄治郎」『ファッシズム批判』が発禁処分となった元東大教授

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ファシズムによる思想弾圧の中で
『民族と平和』が発禁処分、
『国家の理想』が削除処分と
なった経済学者は誰?
佐野学
滝川幸辰
美濃部達吉
矢内原忠雄(答)

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1951年に南原繁の後任として
東大総長に就任した経済学者で
1937年にファシズム批判が原因で
東大教授を解任されたのは?
河合栄達太
矢内徳次吉
金濃原治雄
矢内原忠雄(答)

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著書『ファッシズム批判』などが
発禁処分になり、1939年には東大
経済学部教授をいわゆる平賀粛学
により休職となった経済学者は?
河合部達雄
矢濃栄忠太
美内徳次吉
河合栄治郎(答)

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漫画『バガボンド』
大河ドラマでは堤真一が演じた
関ヶ原の戦いで敗北
武蔵野幼なじみ
宮本武蔵
本位田又八(答)
佐々木小次郎
伊藤一刀斎

矢内原 忠雄(やないはら ただお、1893年(明治26年)1月27日 – 1961年(昭和36年)12月25日)は、日本の経済学者・植民政策学者。東京大学総長。日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章。
> 1937年(昭和12年)、盧溝橋事件の直後、『中央公論』誌に「国家の理想」と題する評論を寄せた。国家が目的とすべき理想は正義であり、正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ることであること、国家が正義に背反したときは国民の中から批判が出てこなければならないことなど、今日では日本でも常識化した民主主義の理念が先取りして述べられていた。
しかし、この論文は大学の内外において矢内原排撃の格好の材料として槍玉に挙げられた。また、同じ頃、矢内原が個人的に発行していたキリスト教個人雑誌『通信』に掲載された南京事件を糾弾する目的で行われた彼の講演の中の一言(「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」)も、不穏の言動として問題となった。結局1937年(昭和12年)12月に、事実上追放される形で、東大教授辞任を余儀なくされた(矢内原忠雄事件)。
引用元:矢内原忠雄 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 – 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。
>その後、ファシズムが勢力を伸ばしてくると、河合はファシズム批判の論陣を張った。それがために、右派陣営からの攻勢は強まり、かつて河合についていた教授も国家主義派(革新派)土方成美の派閥に鞍替えするなど、学部では勢力を失いつつあった。1938年に『ファッシズム批判』など4点の著作が内務省により発売禁止処分に付され、翌年これらの著作等における言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として、出版法違反に問われ起訴された。また学内においても、河合の対立勢力であった土方らとの対立が激しくなり、1939年総長平賀譲の裁定により、1月31日、河合は休職を発令されるに至った(平賀粛学)。この過程で、「粛学抗議の辞表を撤回するべからず」との師の言に逆らって経済学部に残留した大河内・安井は事実上の破門となった。退官後は裁判闘争に明け暮れることとなったが、1943年大審院の上告棄却により、有罪が確定した。以上が河合栄治郎事件と呼ばれる。
引用元:河合栄治郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%A0%84%E6%B2%BB%E9%83%8E

『バガボンド』は、井上雄彦による青年漫画作品。原作は、吉川英治の小説『宮本武蔵』。1998年から『モーニング』で連載が開始された。単行本は2014年7月現在37巻まで刊行されており、発行部数は、国内6,000万部以上、国外2,200万部以上の計8,200万部以上を記録している。2000年、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第24回講談社漫画賞一般部門受賞。2002年、第6回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。
>吉川の小説が原作だが、武蔵の実姉が描かれていなかったり、佐々木小次郎がろう者であったりと、キャラクターや物語には井上独自のアレンジが大きく加えられている。題名の「バガボンド(vagabond)」とは英語で“放浪者”、“漂泊者”という意味である。「バカボンド」は誤表記。
>本位田又八(ほんいでん またはち)
武蔵の幼馴染。作州「宮本村」浪人。第三の主人公。武蔵や小次郎の影となり、物語に大きく関わっている。
お杉の実子ではなく妾の子。宮本村時代には武蔵と好んでつるんでいた。戦で名を挙げようと武蔵を誘い、村を出る切っ掛けを作ったのも又八である。
初期の合戦では、一度の戦闘で数人ほど一太刀も受けずに斬り殺していたが、四年間お甲の情夫を続け、その後も刀を振るう事が無く次第に弱くなってきている。結果急速に頭角を現していく武蔵に水をあけられる形になっており、時おり嫉妬心をあらわにする。
>お杉の死を看取った後、数十年後の初老の又八は路傍で武蔵と小次郎の話を講談のような形で語り継ぐ者になっている。
引用元:バガボンド – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AC%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%83%89

本位田 祥男(ほんいでん よしお、1892年(明治25年)3月8日 – 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の経済学者。西洋経済史専攻。協同組合論にも多大な貢献をもたらした。岡山県出身。
>農商務省勤務を経て、東京帝国大学経済学部教授。1920年代後半にヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をテーマとする論文を著し、日本におけるヴェーバー社会学の初期の紹介者の一人となり、弟子である大塚久雄らに影響を与えた。
大内兵衛によると、美濃部亮吉より後の東京帝大経済学部助手は、本位田、土方成美、河合栄治郎の3教授のいずれかのゼミナール出身者からしか選ばれなかったという。河合と土方の対立に端を発した東大経済学部の紛争においては土方派に属し、両者が免職となった平賀粛学に抗議して東京帝大を辞職した。
>エピソード[編集]
吉川英治が新聞に連載していた『宮本武蔵』に「本位田又八」という架空のキャラクターが登場するが、そのことにより連載当時、学生より「又八」とあだ名されるようになった。このことを苦痛にした本人が「自分の祖先に又八なる人物は存在しない」と新聞に投書するまでに発展した。
引用元:本位田祥男 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E4%BD%8D%E7%94%B0%E7%A5%A5%E7%94%B7

佐野 学(さの まなぶ 1892年2月22日 – 1953年3月9日)は日本の社会主義運動家で、昭和初期の非合法政党時代の日本共産党(第二次共産党)の中央委員長。獄中から転向声明を発表し、大きな反響を呼んだ。
引用元:佐野学 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E5%AD%A6

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
滝川幸辰
たきかわゆきとき
(1891―1962)

刑法学者。「たきがわ~」とも読む。岡山県に生まれる。京都帝国大学卒業後、いったん京都地方裁判所判事となったが、1918年(大正7)京都帝国大学法科大学助教授に転官し、刑事法学を担当。2年余のドイツ留学ののち24年同教授となる。33年(昭和8)いわゆる滝川事件(京大事件)が起こり、同年5月26日に政府から休職を命ぜられ、終戦後まで刑事専門の弁護士として活躍。46年(昭和21)ふたたび京都帝国大学教授に復職し、以後、同大学法学部長・総長を歴任。その間、日本刑法学会理事長、日本学士院会員となる。その学風は古典主義的な応報刑論、客観主義刑法理論で、個人の人権保障を強調するところから、日本に構成要件論を導入したことで有名。[西原春夫]
引用元:滝川幸辰(たきかわゆきとき)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%BB%9D%E5%B7%9D%E5%B9%B8%E8%BE%B0-92859#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8