「小栗康平」『死の棘』でカンヌ国際映画祭GP 『流星人間ゾーン』ガロガバラン星人「輪投げで勝負」

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1990年にカンヌ国際映画祭
グランプリを受賞した映画
『死の棘』の監督は?
島康村田昭
俊光小栗平
小栗康平(答)
おぐりこうへい

『死の棘』とげから、栗のとげを連想して「小栗」、グランプリで「栄光」から「光」のイメージで。
Wikipedia記事から『流星人間ゾーンを』を復習します。「輪投げ」インパクトありすぎ。

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1973年放送の特撮番組
敵はガロガバラン星人
怪獣とジャンケンや輪投げで勝負
ゴジラやキングギドラが登場
『サンダーマスク』
『アイアンキング』
『流星人間ゾーン』(答)
『シルバー仮面』

小栗 康平 (おぐり こうへい、1945年10月29日 – ) は、日本の映画監督。
>1945年10月29日、群馬県前橋市で生まれる。前橋高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部に入学。卒業後、まずはピンク映画の世界に飛び込んだが、ほどなく浦山桐郎の下に弟子入りする。その後、フリーの助監督として、山本迪夫、大林宣彦、篠田正浩らの助監督を務めた。この間、1973年に特撮テレビドラマ『流星人間ゾーン』で監督を務めている。
>1945年10月29日、群馬県前橋市で生まれる。前橋高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部に入学。卒業後、まずはピンク映画の世界に飛び込んだが、ほどなく浦山桐郎の下に弟子入りする。その後、フリーの助監督として、山本迪夫、大林宣彦、篠田正浩らの助監督を務めた。この間、1973年に特撮テレビドラマ『流星人間ゾーン』で監督を務めている。
引用元: 小栗康平 – Wikipedia.

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
小栗康平
おぐりこうへい
(1945― )

映画監督。昭和20年10月29日、群馬県前橋市朝日町に生まれる。1968年(昭和43)、早稲田(わせだ)大学第二文学部演劇専修を卒業。フリーの助監督として篠田正浩(しのだまさひろ)、浦山桐郎(うらやまきりお)の下で修業する。1981年に『泥の河』で監督デビュー。この作品が自主上映で評判になり、多くの賞を得て国際的にも知られた。以後、極端に寡作ながら一作一作が映像の表現力探究の熱意にあふれた作品として注目された。第2作は『伽子(かやこ)のために』(1984)。第3作の『死の棘(とげ)』(1990)は第43回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞する。第4作の『眠る男』(1996)は群馬県の人口400万人記念映画として県の出資でつくられたが、およそ商業映画の常識をかなぐり捨てた純粋に芸術的な実験を試みた美しい作品となった。美しい風景と美しい情操と好ましい人々の姿だけでできた映画である。第5作は『埋れ木』(2005)で、第58回カンヌ国際映画祭で上映された。[佐藤忠男]
引用元: 小栗康平(おぐりこうへい)とは – コトバンク.