アストベリー


タンパク質のX線回折の研究で
知られるイギリスの物理学者
アストベリー(答)
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William Thomas Astbury

ウィリアム・アストベリー(William Astbury、1898年2月25日-1961年6月4日)はイギリスの物理学者、生化学者で、生体分子に対するX線回折研究の草分けである。彼のケラチンの研究が、ライナス・ポーリングらによるαヘリックスの発見のきっかけとなった。彼はDNAの構造についても研究し、1937年にはDNAの構造の解明の第一歩となる発見をした。

タンパク質のX線回折の研究[編集]
1928年、彼はリーズ大学で教職に就いた。彼はここで、繊維業界から財政的な支援を受け、ケラチンやコラーゲンなどの繊維状タンパク質の研究を行った。これらのサンプルは純粋な結晶の様な明瞭なスポットを作らなかったが、これらのパターンから今まで提案されてきたモデルに物理的な限界があることが読み取れた。

1930年代の初め、アスドベリーは濡れた羊毛を引き伸ばすと、前とは全く異なるパターンを見せることに気づいた。このデータは、引き伸ばす前の羊毛は5.1Åの繰り返しを持つコイル状の分子構造であることを示唆していた。この実験の結果より、アストベリーは、(1)伸ばす前のタンパク質分子はα型と言われるらせん状の構造をしている(2)タンパク質を伸ばすことによってらせん構造が壊れ、β型と言われる引き伸ばされた構造に変化するというモデルを提唱した。詳細について誤りはあったにせよ、アストベリーのこのモデルは概ね正しく、1951年にライナス・ポーリング、ロバート・コリー、ヘルマン・ブランソンらが提唱した二次構造の概念とも合致した。アストベリーのモデルでは原子同士がぶつかってしまっているため正しくない部分があると初めて指摘したのは、ハンス・ノイラートであった。ノイラートの論文とアストベリーのデータに刺激を受けたヒュー・テイラー、モーリス・ハギンズ、ローレンス・ブラッグらによってαヘリックスとよく似たケラチン分子の構造モデルが提唱された。

1931年には、彼はタンパク質分子の構造を安定化させるために主鎖間を架橋する水素結合の存在を始めて提唱した。彼の説はライナス・ポーリングらによって熱心に研究された。

アストベリーは、彼の初歩的なデータからだけではDNAの正しい構造を提案するまでには至らなかった。1952年にはライナス・ポーリングはアストベリーの不完全なデータを使ってDNAの構造予測を発表したが、やはりこれも間違っていた。しかしアストベリーの洞察はモーリス・ウィルキンスとロザリンド・フランクリンの研究に引き継がれ、彼らの研究から1953年にフランシス・クリックとジェームズ・ワトソンが正しいDNAの構造モデルを提案するに至った。

彼は後年、様々な賞や名誉学位を授与されている。
引用元:ウィリアム・アストベリー – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%99%E3%83%AA%E3%83%BC

アストバリー
あすとばりー
William Thomas Astbury
(1898―1961)

イギリスの生物物理学者。ケンブリッジ大学卒業後ロンドン大学のW・H・ブラッグのもとでX線結晶学の研究を始めた。1928年リーズ大学に移り、1930年、羊毛のケラチンのX線写真を撮り、α(アルファ)‐ケラチンおよびβ(ベータ)‐ケラチンの二つの異なる構造を提起した。これはその後、ポーリングのタンパク質のα‐螺旋(らせん)、β‐構造へと受け継がれた。1937年、ベルFlorence Bell(1913―2000)とともにDNA(デオキシリボ核酸)の写真撮影に初めて成功したが、そこにみられた3.34オングストロームのスポットは、明らかに規則性のある配列が存在することを示していた。そのほか、「分子生物学」ということばを用いたことなど、新しい分野の先駆者として、次の時代を準備した。[石館三枝子]
引用元:アストバリー(あすとばりー)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%AA%E3%83%BC-1499757