厠半ばに出かねたり


夏目漱石が当時の首相
西園寺公望におくった
有名な俳句は「時鳥厠
◯◯◯◯◯◯◯◯」?
か出半にばりたね
半ばに出かねたり(答)
33%

夏目漱石にこんな句がある。
杜鵑(ほととぎす)厠なかばにでかねたり  漱石

ホトトギスが鳴いている。ついその鳴声に聞き惚れてトイレから出損ねた。
時の首相、西園寺公望公が小説に関するお話を聞きたいと当時の著名な文士20人に招待状を出した。

森鴎外、幸田露伴、泉鏡花、徳田秋声、島崎藤村、国木田独歩、田山花袋・・・。
ところが、坪内逍遥、二葉亭四迷と当時、我輩は猫であるで人気を博し朝日新聞に入社して最初の新聞小説「虞美人草」を執筆していた夏目漱石の3人は拒わった。

残る17人の文士は3日に分けて西園寺邸で日本橋の「常盤屋」の出張料理を食しながら歓談したという。

時に、1907年(明治40年)6月17日~19日であったという。

当時の新聞にその漱石の断り状を記事にしてこう紹介している。

「其簡は陶庵候(西園寺公のこと)の俳句の造詣深きを識れるを以って左の

一句をもって是を結べりとぞ」と、上掲の句を書いているのである。

公をホトトギスに見立てて、野暮用を理由に断わったという辛らつなユーモアにも聞えてくる。
料理は、本膳に吸物(石鰈、火取り、根芋)、口取り(鯛の昆布〆、車海老の雲丹焼、隠元の青煮)、刺身(おこぜの湯ぶり、独活うど)、鉢肴(鮎の塩焼、蓼酢)茶碗(すっぽん)、中皿(南瓜五目煮)、取肴(生貝塩蒸、青唐辛子焼)
会席に向(鯵、山葵 甘酢)汁(ジュンサイ、水芥子)飯、椀(蕎麦切豆腐)、焼肴(鱚の醤油干)、漬物(白瓜、茄子)酒に日本酒、シャンパンという案内状の粗餐とは遠い豪華なものであったそうな。

そして、漱石出席予定の二日目の会席のイベントで寄せ書きをした。

その中に、西園寺公は次の句を記して漱石の不在を残念がっていたと、

巌谷小波談で伝えている由。
まつ甲斐の姿をみたり時鳥  西園寺公望
引用元:夏目漱石vs西園寺公望|カエサルとバレンボイム そして芭蕉 https://ameblo.jp/skoro/entry-10531780679.html

時鳥厠半ばに出かねたり

「障る事ありて或人の招飲を辞したる手紙のはしに」という前書がついている。明治40年の作。或人というのは時の総理大臣西園寺公望である。西園寺は明治39年に内閣総理大臣に任命されると、「雨声会」というサロンを開き、当時の文人たちを招待した。漱石はそれをにべもなくこの句を添えて断った。トイレの途中だから出られません、というのである。当時から総理大臣に対して失礼ではないかと問題視された作品である。
漱石は西園寺が気に入らなかったのだろうという。西園寺は、戊辰戦争のときの会津口征伐大参謀。江戸生まれの漱石には官軍の参謀というのが気に入らなかったのであろう、と推測されている。
引用元:時鳥厠半ばに出かねたりとは – 現代俳句一覧 Weblio辞書 https://www.weblio.jp/content/%E6%99%82%E9%B3%A5%E5%8E%A0%E5%8D%8A%E3%81%B0%E3%81%AB%E5%87%BA%E3%81%8B%E3%81%AD%E3%81%9F%E3%82%8A

『漱石俳句探偵帖』(そうせきはいくたんていちょう)は、半藤一利による、夏目漱石の俳句に関するエッセイ集である。2年半にわたり、雑誌『俳句研究』に連載されたもので、1999年に角川学芸出版から発刊された。のち、2011年6月に文春文庫版が刊行された。31編のエッセイからなる。漱石の残した俳句から、漱石の散文作品や人物像を描こうとするものである。

「厠半ばに」をめぐって – 漱石は1907年に総理大臣西園寺公望の有名文人を集めた懇話会を「時鳥厠半ばに出かねたり」の句を添えて招待を断った。その後も7回にわたって開かれた西園寺の懇話会の招待を断っている。ところが1909年の文相、小松原英太郎の文士招待会には出席した。筆者はその理由を西園寺が戊辰戦争で西軍の先鋒総督格であったことを嫌ったためだと推理する。
引用元:漱石俳句探偵帖 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E4%BF%B3%E5%8F%A5%E6%8E%A2%E5%81%B5%E5%B8%96