1965「北爆開始」「第1回ドラフト会議」


アメリカによる北爆開始
日韓基本条約が締結
朝永振一郎にノーベル物理学賞
プロ野球第1回ドラフト会議
1963年(昭和38年)
1967年(昭和42年)
1966年(昭和41年)
1965年(昭和40年)(答)
52%


岸信介に代わり池田勇人が首相に
大洋ホエールズが日本一 
日米新安保条約に調印 
ローマ五輪開催
1960年(昭和35年)(答)

連想
大鵬と柏戸が横綱に昇進
三無事件が発生
ベルリンの壁が設置
ガガーリンが人類初の宇宙飛行
1961年(昭和36年)(答)

連想
アルジェリアが独立
東映フライヤーズが日本一に
堀江謙一が太平洋単独横断に成功
キューバ危機が勃発
1962年(昭和37年)(答)

連想
NHK大河ドラマが放送開始
日本初の高速道路が開通
アニメ『鉄腕アトム』放映開始
ケネディ大統領が暗殺
1963年(昭和38年)(答)

連想
シンザンが史上2頭目の三冠馬
王貞治が年間本塁打55本の新記録 
東海道新幹線が開通 
東京五輪が開催
1964年(昭和39年)(答)

連想
日本の総人口が1億人を突破
中国で文化大革命が始まる  
『ウルトラマン』放送開始  
ビートルズ日本公演
1966年(昭和41年)(答)

連想
川端康成にノーベル文学賞
プラハの春
3億円事件が発生
メキシコ五輪が開催
1968年(昭和43年)(答)

連想
アニメ『サザエさん』放送開始
学生が東大安田講堂を占拠 
ウッドストック・フェスティバル
アポロ11号が人類初の月面着陸
1969年(昭和44年)(答)

連想
『遠くへ行きたい』放送開始
国産初の人工衛星の打ち上げ成功
「よど号」ハイジャック事件
日本万国博覧会開催
1970年(昭和45年)(答)

連想
銀座にマクドナルド1号店開店
カップヌードルが発売開始 
『仮面ライダー』放送開始 
1ドル=360円から308円に
1971年(昭和46年)(答)

連想
あさま山荘事件
日中共同声明
沖縄が日本に返還
札幌冬季五輪
1972年(昭和47年)(答)

連想
ベトナム戦争の停戦が発効
浅間山が大噴火
ブルース・リーが死去
第1次石油ショックの始まり
1973年(昭和48年)(答)

連想
ニクソン大統領が辞任
小野田寛郎がフィリピンから帰国  
佐藤栄作にノーベル平和賞
長嶋茂雄が現役引退
1974年(昭和49年)(答)

連想
『およげ!たいやきくん』ヒット
アントニオ猪木とアリが対決
ロッキード事件で田中前首相逮捕
モントリオール五輪が開催
1976年(昭和51年)(答)

連想
カーターがアメリカ大統領に
『ウルトラクイズ』放送開始 
阪急が日本シリーズ3連覇
王貞治が国民栄誉賞第1号に
1977年(昭和52年)(答)

連想
サンシャイン60が完成
成田国際空港が開港
日中平和友好条約に調印
「スペースインベーダー」ブーム
1978年(昭和53年)(答)

1965年2月7日
ベトナム戦争で米軍が「北爆」開始

 米軍が北ベトナム領内に対する爆撃「北爆」を開始、ベトナム戦争への本格介入に踏み切った。写真は北爆を行うF105戦闘爆撃機。米国は1966年に地上軍を投入し、共産主義勢力の一掃を目指すが、戦いは泥沼化し、日に日に疲弊していった【AFP=時事】
引用元:ベトナム戦争で米軍が「北爆」開始:時事ドットコム https://www.jiji.com/jc/daily?d=0207

日韓基本条約

1965年6月に、日本(佐藤栄作政権)と韓国(朴正煕政権)との間で調印された条約。これにより日本は韓国を朝鮮半島の唯一の合法政府と認め、韓国との間に国交を樹立した。韓国併合条約など、戦前の諸条約の無効も確認した。同条約は15年にわたる交渉の末に調印されたが、調印と批准には両国で反対運動が起きた。両国間交渉の問題点は賠償金であったが、交渉の末、総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の援助資金と引き換えに、韓国側は請求権を放棄した。
(高橋進 東京大学大学院法学政治学研究科教授 / 2007年)
引用元:日韓基本条約(にっかんきほんじょうやく)とは – コトバンク https://kotobank.jp/word/%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%9D%A1%E7%B4%84-182217

朝永 振一郎(ともなが しんいちろう、1906年(明治39年)3月31日 – 1979年(昭和54年)7月8日)は、日本の物理学者。相対論的に共変でなかった場の量子論を超多時間論で共変な形にして場の演算子を形成し、場の量子論を一新した。超多時間論を基に繰り込み理論の手法を発明、量子電磁力学の発展に寄与した功績によってノーベル物理学賞を受賞した。また、非摂動論の一般理論である中間結合理論は、物性や素粒子の状態を調べる基本手法となった。東京生まれで京都育ち。なお、朝永家自体は長崎県の出身。武蔵野市名誉市民[1]。

ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1965年
受賞部門:ノーベル物理学賞
受賞理由:量子電気力学分野での基礎的研究
引用元:朝永振一郎 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%B0%B8%E6%8C%AF%E4%B8%80%E9%83%8E

1965年度新人選手選択会議(1965ねんどしんじんせんしゅせんたくかいぎ)は1965年に行われた第1回のプロ野球ドラフト会議である。

概要[編集]
1965年11月17日に東京・日比谷日生会館において開催された。
球団は連盟に獲得希望選手名簿を提出。名簿内では希望順に1番から12番も記載(プロ野球ドラフト会議#ドラフト制度の変遷も参照)。
1位指名選手限定で、希望順1番が他球団と重複でなければ指名交渉権確定。重複した場合は抽選。
抽選で外れた場合は希望順2番、駄目なら3番と進行・・・以下、再度の重複があればその度に抽選。
2位以下の指名選手はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を採用。
ウェーバー方式による指名順は近鉄 – サンケイ – 東京 – 広島 – 阪急 – 大洋 – 西鉄 – 阪神 – 東映 – 中日 – 南海 – 巨人
指名選手数は1球団30名まで。
サンケイから1位指名を受けた河本和昭は入団拒否。プロ野球史上初の1位指名選手の入団拒否である。
広島が18位まで指名したのに対し、南海は4位で指名終了するなどチームにより指名選手の数に大きな差があった。
西鉄は16位まで指名したが、そのうち13人が入団を拒否した(球団が指名後交渉せず、そのまま交渉権失効となった選手を含む)。
中日が10位指名した松井猛は、過去にプロ経験があり(大毎に2年間在籍)、柳川事件直前にアマ復帰している。プロ野球(NPB)経験者が唯一ドラフト指名された例である(現在の制度では、アマ復帰した元プロ選手のプロ復帰時にはドラフトにかける必要がない)。
引用元:1965年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/1965%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E6%96%B0%E4%BA%BA%E9%81%B8%E6%89%8B%E9%81%B8%E6%8A%9E%E4%BC%9A%E8%AD%B0_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%97%E3%83%AD%E9%87%8E%E7%90%83)