スタンカ


2リーグ制以降のプロ野球で
史上初めて外国人選手として
シーズンMVPを獲得した
選手は誰?
レバンイル
タカスズボ
スタンカ(答)
27%
ジョー・スタンカ Joe Donald Stanka

ジョー・スタンカ(Joe Donald Stanka, 1931年7月23日 – )は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手(投手)。

1960年、前年の日本シリーズで読売ジャイアンツを4連勝で破り日本一に輝いた監督の鶴岡一人が、連覇に向けエース杉浦忠の負担を軽くするために、第2の投手の柱を熱望して、南海ホークスに入団[3]。日本のプロ球団に3Aクラスの外国人投手が加入したのはスタンカが初で、当時の日本野球の技術レベルならば即20勝前後の働きが可能と判断しての獲得だった。尚、この獲得の裏には、当時南海の唯一の外国人投手だった、ジョン・サディナがスタンカ獲得を鶴岡に進言した事もあったと言われている。来日して記者会見を開いたとき、記者達は一様にその巨体に「大きい」と感嘆の声を挙げた。それを聞いたスタンカは、オクラホマ人を指す「オーキー」というスラングと勘違いし、「日本でも自分がオクラホマ出身だということはそんなに有名なのか」と錯覚したという[4]。

1964年には26勝を挙げてシーズンMVPに輝き、阪神タイガースとの日本シリーズでは第1・6・7戦で先発し3完封の離れ業をやってのけ、南海の日本一に大きく貢献。日本シリーズMVPも受賞した。阪神の監督藤本定義は「スタンカに3度もひねられたのが敗因」と語った[8]。翌1965年も先発投手として活躍したが、長男が自宅風呂場でガス事故死し、不幸を断ち切りたいと帰国を決意して南海を退団した。この年のスタンカ以降、ホークスの外国人投手の2桁勝利は長らく達成されず、D.J.ホールトンの登場まで44年を待たねばならなかった。
1966年は大洋ホエールズで1年間プレーした。打撃も得意で、代打での出場もあり通算7本塁打を放っている[9]。大沢は「俺の知ってる限りじゃ日本野球に徹した最初の外国人選手だろうな。2メートル近い身長から投げ下ろすピッチングはすごい迫力だった」と著書に記している[10]。広瀬叔功は「日本に来た外国人選手で最高の投手は文句なしでスタンカだと思っている」と著書に記している[11]。
引用元:ジョー・スタンカ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB