「エチオピア」アベベ・ビキラ


五輪のマラソンで
史上初の連覇を達成した
アベベ・ビキラは
どこの国の選手?
エチオピアをタッチ(答)



引用元:エチオピア連邦民主共和国 | 外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ethiopia/index.html

◯×
往年の名ランナー・アベベは東京五輪のマラソンで金メダルを獲得したときコースを裸足で走っていた
×(答)
◯ローマ五輪

引用元:ハイレ・「ゲブレシラシエ」 http://seethefun.net/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/34746/


男子10000m走を五輪で2度、
世界陸上で4度制した
エチオピアの陸上選手は
ハイレ・◯◯◯◯◯◯◯?
ラブゲエシレシ
ゲブレシラシエ(答)
「ハイレ・ゲブレシラシエ」
Haile Gebrselassie

アベベ・ビキラ(Abebe Bikila, 1932年8月7日 – 1973年10月25日)は、エチオピア出身の陸上競技(長距離走)選手で、オリンピックのマラソン種目で史上初の2大会連続優勝を果たし、2個の金メダルを獲得した。サハラ以南のアフリカ出身者としては初のオリンピック金メダル獲得者でもある[1]。オロモ人である。

>ローマオリンピックでアフリカ黒人初の金メダル[編集]
1960年9月のローマオリンピックに際しては、偶然に靴が壊れたため(さらに現地で新しい靴を買おうと思ったが自分に合うものがなかったため)裸足で走ることとなった。もともとアベベは子どもの頃から裸足で野山を駆け回っており、足の裏の皮は厚く、裸足で走ることに慣れていた[7]。アベベはスタート当初は最後方に位置し、競技場を出ても最後方のままであったが、15kmを過ぎて先頭集団に入り、30kmでトップに出るとあとはそれを譲ることなく、当時の世界最高記録となる2時間15分16秒2で優勝した。レース前には全く無名で、アベベが先頭集団に加わると「あれは誰だ」という声が沿道からあがり、プロフィールにもほとんど記載のないアベベがゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってきたとき各国の報道関係者も騒然となった。アベベはゴール後に「まだ余力はある。走れと言われればもう20kmぐらい走れる」と話した。
1937年から1941年までイタリアに侵略、占領されていたエチオピア国民は、アベベの優勝に熱狂し、アベベはエチオピアの英雄となった。この功績により、帰国したアベベはハイレ・セラシエ皇帝に拝謁し、勲章を授与された。また半年後には兵卒から兵長に昇進している。この1960年は17のアフリカの国が独立を達成してアフリカの年と呼ばれ、アフリカ史において重要な年となった。
アベベの優勝は、アフリカの高地民族が長距離走への適性を持つことを世界に知らしめた。また、エチオピアの国土が空気の薄い標高2,000m前後の高地にあり、そこでトレーニングを積んだことで心肺機能が高められたのではないかという見解が示され、陸上競技に高地トレーニングが導入されるきっかけとなった。

東京オリンピックでマラソン初の2連覇[編集]
1964年春、アベベは軍曹に昇進した。5月にアディスアベバで1年ぶりにマラソンを走って優勝。8月の東京オリンピックの国内予選では自己2位となる2時間16分18秒8で優勝し、代表に選ばれる。しかし、競技の6週間前に盲腸の手術を受け、ニスカネンの立てた練習スケジュールは大きく狂った。このため、日本の代表選手のコーチたちも「アベベはマークの対象にしていなかった」とのちに語っている[12]。アベベはエチオピア選手団の一員として9月29日に来日し、選手村や隣接した織田フィールドで毎日走った。10月10日の開会式ではエチオピア選手団の旗手を務めている[13]。
10月21日の東京オリンピックマラソン本番では、20km地点辺りから独走態勢に入り、全く危なげのないレース運びで[14]、ヒートリーの記録を1分44秒縮める2時間12分11秒2の世界最高記録で再び金メダルを獲得した。近代オリンピック史上、マラソンの種目で二連覇はアベベが初めての快挙であった。それ以後、オリンピックのマラソン競技で世界(最高)記録を樹立したランナーは出現していない。
アベベはゴールした後に疲れた様子も見せずに整理体操を始め、7万人の観衆を驚かせた。後にアベベは「まだあと10キロは走れた」と語っている。
引用元:アベベ・ビキラ – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%99%E3%83%99%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%AD%E3%83%A9